歴史から消された
日本人の美徳 
 黄文雄・著 青春出版社 2004年刊

 社会を円滑にしてきた思いやり

 日本で「和」の社会が成立したのは、聖徳太子の時代以降でもなく、縄文人と弥生人の血と血で洗う闘争に懲りたからでもない。「和」の社会ははるか神代の時代からつづくものである。
 日本の神々のなかには、絶対神が存在せず、神々のパンテオン、天上界では徹底的な分業システムによって運営される、神の国が造られたのだ。タヂカラの神は力を、コトダマの神は言葉を、天照大神もさまざまな力をもちながらも機織りをするなど、一神一芸なのであり、この状況下ではどうしても相互依存でやるしか、うまくやっていけない。これが日本の社会の自然の摂理である。
 この相互依存の原理の下では、いかなる異教徒の神が入ってきても、新しい力、新しい芸をもたらすものとして土着の神に歓迎され、習合の原理がここでも働く。外来文化のおだやかな受容の土台がここにあるのだ。
 そもそも多神教的な神道は、排他的ではないのだ。だから異教徒の神々でも抵抗なく神々のパンテオンに迎え入れた。仏教や儒教との習合は、早くから行われ、三教融合、三教合一は日本の社会で普通に行われるようになったのだ。神社の境内に寺があり、その寺子屋で『論語』や蘭学を教えるようなことに、誰もが矛盾を感じたりはしなかったのだ。
 日本の近世社会について論じた、宗教社会学者ロバート・ベラーは『日本近代化と宗教倫理』(未来社)のなかで、各社会には、経済、政治、統合、文化の四つの側面があり、その社会の成員は、それぞれの側面で業績、貢献、和合、充足の基準によって評価されると定義した。
 アメリカでは、普遍主義が優先し、個人の業績が評価基準になるのに対して、日本では普遍的な原理に忠実であることよりも、集団の要請によって、適当に妥協し、他者と調和することが重んじられる。こうした場面のなかで、「和」の精神が高く評価されるのは、ベラーによれば、調和それ自体が目的ではなく、集団成員間の調和は「集団目標の達成」を円滑にし、ボスに対する忠誠を示すがゆえに評価されるのだという。そのために論争好きや闘争好き、過大な野心を示す者、あるいは破壊的な行動をする者は強く非難される。そして摩擦を避けるために、日常生活の大部分がこと細かに形式化され、その社会の成員は形式に同調することが期待される、と分析している。
 日本の「和」の原理は、神代以来のもので、近世においても士農工商の四民の徹底的分業による相互依存社会の確立をもたらし、今日の日本社会を形作っている。もし中国のように社会分業が不明確で、階層、階級の対流が激しい社会なら、日本の社会も、中国のように万人が万人と殺し合う社会になってしまうことになろう。
 日本人は、教育においても中国人や朝鮮人のように、偉人、英雄志向を取らず、我が子が非凡な偉人になることよりも、むしろ平凡で穏健な一生を過ごすことを望んでいた。非凡な人間は、出る杭は打たれるということで、むしろ不幸を招来すると考えたのだ。出る杭は打たれるので、平等思想が自然に定着し、そして均質的な日本社会ができあがったのである。
 日本人の「和」に対する愛好は、中村元氏も指摘したように、元号にも表れている。和銅、永和、応和、安和、寛和、長和、康和、正和、弘和、天和、明和、享和、昭和と、「和」の文字が最も多く使われている。
 他人とうまくやっていくには、なるべく突出を避け、独走、急進を避け、その結果我慢が求められた。[和]には「忍」が付き物なのである。
 和を保つには、常に相手の立場に立って物事を考えなければならないので、「思いやり」が至上の価値にされ、相手の立場の尊重から、相手の人格、人権、さらに命を尊重する社会意識が作られた。日本語に助詞と敬語が多いのは、こうした社会を円滑に運営するためである。
 
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