歴史から消された 日本人の美徳 |
黄文雄・著 青春出版社 2004年刊 |
なぜ日本人は自然を愛するのか 「和」は安定した社会を作り、文化を育てただけでなく、人間と自然との調和、融合の思想も育ててきた。日光東照宮は、国道拡張計画を推進する当時の建設省と裁判で争い、杉の老木を伐採から守ったとか、雲仙のツツジや、吉野のサクラをいかに守り育てたかといったことが大きくニュースや書物で取り上げられる。これは近来の環境保護意識の高まりとは、別の意識が働いているように見えるのだ。自然崇拝を母胎にしてきた日本ならではの現象なのである。 日本人は古代から、自然を神として仰ぎ、祀ってきた。緑なす山々や森林は神々が住まうところとして「神体山」や、あるいは神々が清らかに鎮座する「神奈備山(かんなびさん)」として畏怖の念を抱いてきた。そして、山や森林に、神々が降臨する「依代(よりしろ)」や「神籬(ひもろぎ)」として、神社を建てた。日本の山、森、林には無数の神社が存在しており、また自然そのものが神なのである。 「万葉集」では、「社」や「神社」を「モリ」と読んでおり、本来は森そのものが神の鎮まる「社」であった。神社はほとんどが森のなかにあり、今でも街中にぽつんと木立のなかに神社があったりするのは、そのあたりが以前は人々が神がいると信仰した森だったことを示している。 自然崇拝の神道も、「山川草木悉皆成仏」の天台宗の本覚思想も、「和」の原理から育てられた、日本的自然主義の思想である。もともと人間中心主義の宗教である仏教も、日本の「和」の原理によって、自然中心主義に衣を替えたのである。 草木、山川、動物にも精神があり、成仏ができるという天台宗の教えは、中世の人々の心に水が沁み込むように浸透し、この思想は日蓮宗にも受け継がれた。『法華経』では草や木の成仏が盛んに語られている。また、「一仏成道して、法界を観見せば、草木国土、悉く皆成仏す」という詩句は、仏教書だけでなく、近世の説話にもよく登場する。浄瑠璃には柳の木が成仏するという話が主題になっている『三十三間堂棟由来』という作品もあるくらいだ。 日本人ほど自然を愛する民族はいない。芸能や文芸、ことに和歌や俳句は自然の風物と切り離しては考えられない。自然との和が、日本社会の和の原理にもなり、それが自然主義精神に富む日本文化を生んだのである。 中国では、神々は自然からではなく、天上からまっすぐ人間界に降臨してきた。そのために中国の神様たちは、強力に現世利益をすすめるので、人々も精神的よりどころとしてではなく、困ったときの神頼みに徹している。それぞれの困り事に応じて、神を選び、礼拝する。きわめて合理的で、利己的なのである。寺廟も自然界とは無縁で、ごみごみした街中や、黄塵が吹きすさぶ荒れ野や、ごつごつした禿げ山に建っている。森に囲まれた神社のたたずまいを見慣れてきた日本人には、中国の寺廟のありようは、最も違和感を感じるところであろう。 また、キリスト教やユダヤ教、イスラム教も荒涼とした砂漠で生まれた宗教で、一神教である。過酷な環境では、不寛容にならざるを得ず、他の民族、他の宗教を峻別するという考え方も生まれよう。しかし日本の神道では、神との契約に基づく原罪もなく、罪の意識はあくまでも自然の摂理に反することから生じる。自然を否定して人間が傲慢になることを、戒めるのである。日本人はあるがままの自然に、強いこだわりをもち、反自然的なことに居心地の悪さを感じる。砂漠の宗教が自然を克服し征服する宗教だとすれば、神道は自然と調和し、共生することをめざす宗教なのである。 日本文明の特色は自然との共生なのに対し、中国は自然への寄生である。黄河流域から南下した中華の民は華中や華南の大地に寄生し、森林が消え、残されたのは禿山だらけの中国特有の景観である。自然の荒廃によって招来するのが水旱の悪循環である。 遊牧・牧畜民族では、個人主義や自己主張、さらに競争の原理が社会の法則となり、一神教が生まれる。しかし農耕民族は、集団耕作と公平な分配が原則となり、自己抑制によって集団の和を保つことが必要条件になる。これは自然の風土から生まれた共生の法則だろう。 日本では自然が神であり、自然と和合することが信仰の上で、正しい行ないとされてきたのだ。 |
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