歴史から消された
日本人の美徳 
 黄文雄・著 青春出版社 2004年刊

 村八分にこそ表れる優しい民族性

 村八分は、仲間からのけ者にされる言葉を意味することだが、これを差別用語とするのは、実におかしい。村八分は日本人の思いやりの象徴の一つであり、この村八分という悪者やのけ者に対するやり方こそは、優しさのシンボルではないかと思っている。
 社会主義運動の歴史を見れば、いかに仲間の結束を大事にするか、そしてその結束から外れたものをいかに厳しく対処するものであるかがよく分かる。社会主義運動の最も大きな特徴の一つは、結束を乱した仲間に対しては絶対不寛容で、仲間同士での血の粛清さえ辞さない。これは日本の左翼運動にも見られるもので、日本での血の粛清劇は、社会主義国家ではないので政争ではなく、セクト内部での内ゲバやら裏切り者への粛清という形で表れた。
 スターリンの行った血の粛清は、フルシチョフ時代のソ連共産党大会の報告によって明らかにされ、世界を驚かせた。もちろん中国共産党の粛清劇も、スターリンの血の粛清に引けを取らない。中ソ両国をはじめ、社会主義政党内の内ゲバについては、「共産主義黒書」などの報告書に詳細な記録があり、その犠牲者の数は数百万人とも数千万人ともいわれている。これは二十世紀の実に陰惨な悲劇といえる。
 しかしそれに比べ、日本人の村八分は実に優しい性質のものだ。村八分とは、村落共同体において、悪事を働いたり、どうにもならない暴れ者に対して付き合いを断つという制裁だが、それでも火事と葬式の際は、助けを出したり香典を出したりはするのだ。結婚や子どもが産まれたといった場合は、勝手にしろという態度で、これは村人の関知するところではないと、無視するのだ。
 村八分という言葉は、どうして生まれたのだろうか。これは村内の付き合いとして「誕生、成人、結婚、死亡、法事、火事、水害、病気、旅立ち、普請」という基本要項が定められていたことから来ている。これらの要項は徳川幕府の出した「御定書百箇条」という条文のなかにある、付き合いに関する十箇条の項目として挙げられているものだ。
 この十項目の付き合いから、火事と葬式の二つを除いた、つまり十分のうち八分の付き合いから閉め出されるので、村八分というのである。ではなぜ二分だけは付き合いが許されるかというと、火事の場合は、その家の財産がすべて灰燼に帰してしまうだけでなく、村全体に延焼する可能性があるので、延焼を防ごうと手を貸すということだ。葬式の場合は、善人も悪人も、敵も味方も「死ねば仏」という思想から、お弔いは村民もともにしようということだ。
 日本人は、キリスト教徒のように、蛇に騙されて「禁断の果実」を食べただけで、アダムとイヴをエデンの園から追放するようなことはしないのである。なぜなら、昔の日本では、生活基盤のほとんどが共同体のなかだけにあって、村から完全に追放されたら、夜盗にでもなる以外は生きるすべがなく、追放は死を意味するものだったからである。そこで、村人の思いやりから、付き合いを断つのは八分だけにとどめたのだ。ましてや昔の日本人は、人が罪を犯すのはそもそもその人間が悪いのではなく、悪い霊に取り付かれたのだと考え、悪霊さえ追い払えばよいのだ、清めればいいのだからと考えたからだ。
 高天原であれほど暴れたスサノオノミコトでさえ、出雲の肥の川(斐伊川)上流でみそぎ祓いをしただけで許され、その後は敬愛される神になったのである。
 これはみそぎ祓いによって、再起、再生を認める日本人の、あざやかな変身の原点である。中国人には考えられない発想だ。
 
← [BACK]          [NEXT]→
 [TOP]