歴史から消された 日本人の美徳 |
黄文雄・著 青春出版社 2004年刊 |
「謙譲の美徳」の源流を知る 日本人と中国人の最大の違いは何かというと、私は多くの場合「誠」と「詐」の民族であると言明してきた。さらにそれに付け加えて、日本人は「おかげ」の民族であるといいたい。 一君万民体制の中国では、昔からすべての恩恵は天地というよりも、皇帝から与えられるものとされてきた。天意を代表するのが天子である皇帝であり、したがって恩恵の最も大きなものが「皇恩」で、中国人の「おかげさま」の対象は皇帝に一元化されている。 この意識は近代になってからも、大して変化していない。「もし孫文がいなかったら」、「もし毛沢東がいなかったら」、「もし蒋介石がいなかったら」今日はない、という言い方が頻繁に繰り出され、教育面でもそうした思考法で学ばせられたものだ。天下を統べる者がいかに偉大で、その恩を思えというのである。 恩のあり方は、中国人には独特のものがある。中国人は自己中心的で、国家レベルでも自国中心主義を取る極端な“ジコチュウ民族”であり、他人からの恩恵を思うよりも、自分が施した恩義の意識のほうが格段に強い。 日常生活のなかでも、「もしオレがいなかったら奴の今日はない」と自慢するセリフをよく耳にする。現代では誰もが皇帝になったかのようである。他人の成功はすべて自分の「おかげ」なのである。それもただ友人に少しばかり助言したり、若干のお金を貸しただけであっても、その相手が成功した暁には、自分の「おかげ」なのである。 国家としても同様である。戦後日本の繁栄は、中国が日本に対する戦争賠償を放棄したからだ、「徳を以って怨みに報いた」からだと正々堂々と主張する。最近では今日の世界経済を支えているのは、「世界の工場」を提供している中国あってこそ、というのが自慢らしい。 日本の文化や、明治維新の成果まで、すべてが中国の文化、文明のおかげだというのはまだいいほうで、今日の人類すべての文明や、西洋の近代化に至るまでもが中国の「おかげ」だという主張も登場している。 こうした世界に向けた、すべての恩義はわれが与えたものという思想は、すでにアヘン戦争当時、19世紀の中ごろの清国の文人あたりからはじまっており、それが今日までつづいている。 日本人にも自慢に走る傾向は、まったくないわけではないが、謙譲の美徳のほうが勝っている。日常生活のなかで頻繁に聞かれる「おかげさまで」というフレーズは、ただの挨拶としての謙遜語ではない。本心からの天地自然からの恩恵を思い、他人あっての自分であるとの真心から出たものだと感じさせられることが多い。 その背景にあるのは、今日あるのは天地自然の「おかげ」という感覚ではないだろうか。この日本人の「おかげ」の思想は、原始神道に源を発し、ことに仏教の浄土真宗の他力本願の教えから来るものであろう。これが今日の日本人の国民性を形作っている。 |
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