古代霊は語る
シルバー・バーチ霊訓より
近藤千雄・訳編 潮文社 
第1章 シルバー・バーチの使命

 シルバー・バーチの選択

 本題に戻りましょう。シルバー・バーチが心霊知識普及の使命を言い渡され、不承不承ながらも引き受ける覚悟をきめたことはすでに紹介しましたが、覚悟をきめなければならない重大な選択がもう一つあったのです。それは、知識普及の手段として物理的心霊現象を選ぶか、それとも説教という手段をとるか、ということでした。
 ご承知のとおり物理的心霊現象は見た目には非常にハデで、物めずらしさや好奇心を誘うにはもってこいです。しかしそれは、その現象の裏側で霊魂が働いていること、言いかえれば死後の世界が厳然と存在することを示すことが目的であって、それ以上のものではありません。
 ですから、心霊現象を見て成るほど死後の世界は存在するのだなと確信したら、もうそれ以上の用事のないものなのです。霊界の技術者たちもその程度のつもりで演出しているのです。
 ところが現実にはその思惑どおりには行っていないようです。というのは、現象は見た目には非常に不思議で意外性に富んでいますから、人間はどうしてもうわべの面白さにとらわれて、そのウラに意図されている肝心の意義を深く考えようとしないのです。
 たとえば最近テレビではやっている心霊番組をご覧になればその点に気づかれると思います。怪奇現象を起こしたり写真に写ったりする霊魂について、それが身内の人であるとか先祖霊であるとか地縛霊であるとか浮遊霊であるとか、いろいろ述べるのは結構ですし、その供養まで勧めるのはなお結構なことだとは思うのですが、しかし話はいつもその辺でストップし、その先の、たとえば死後の世界が存在することの重大性とか、その世界が一体どんな世界なのか、またそういう形で姿を見せない、その他の無数の霊たち、とくにすぐれた高級霊たちはどこでどうしているのか、といった疑問は一般の人からも出ないし、指導する霊能者の方からの解説もありません。
 その点についてひと通りの理解をもった心霊家ならいいとして、何も知らない人が同じ番組を見たら、死後の世界というのは実に不気味で、陰気で、何の楽しみも面白味もない、まるで夜ばかりの世界のような印象を受けるのではないかと案じられます。日本のテレビや雑誌にみる心霊の世界はおしなべてそんな傾向があるようです。
 そこへ行くとスピリチュアリズムは実に明朗闊達、広大無辺、そして自由無礙。人生百般に応用ができて、しかも崇高な宗教心も涵養(かんよう)してくれます。
 しかしそれは心霊を正しく理解した人に言えることであって、実はそこに至るまでが大変なのです。その第一の、そして最大の障害となっているのが、スピリチュアリズムか一般の宗教に見るような御利益的信仰心の入る余地がないということではないかと察せられます。
 人間は誰しも、理屈はどうでもいい、とにかく今直面している問題―病気、家庭問題、仕事の行きづまり等々を解決してくれればいい、と考えるものです。
 それ自体は決して悪いことでも恥すべきことでもないのですが、ただそれが解決すればもうそれでおしまいということになると問題です。あるいは、その解決だけを目的としてどこかの宗教に入信する、あるいはどこかの霊能者におすがりする、というのは困りものです。それでは何の進歩もないからです。シルバー・バーチもこんなことを言っています。

 私がもしも真理を求めて来られた方に気楽な人生を約束するような口を利くようなことがあったら、それは私が神界から言いつけられた使命に背いたことになりましょう。私どもの目的は人生の難問を避けて通る方法を伝授することではありません。艱難に真っ向から立ち向かい、これを征服し、一段と強い人間に生長していく方法を伝授することこそ私どもの使命なのです。
 
← [BACK]          [NEXT]→
 [TOP]