古代霊は語る
シルバー・バーチ霊訓より
近藤千雄・訳編 潮文社 
第1章 シルバー・バーチの使命

 生前の姓名は明かさないという重荷

 さてシルバー・バーチは最終的に「説教」の手段を選びました。が、これは心霊現象の演出よりはるかに根気と自信のいる仕事です。なぜ困難な方を選んだのか。それをシルバー・バーチ自身に語ってもらいましょう。

 自分自身の霊界生活での数多くの体験から、私はいわば大人の霊、つまり霊的に成人した人間の魂に訴えようと決意しました。真理をできるだけ解り易く説いてみよう。常に慈しみの心をもって人間に接し、決して腹を立てまい。そうすることによって私がなるほど神の使者であるということを身をもって証明しよう。そう決心したのです。
 同時に私は生前の姓名は絶対に明かさないという重荷を自ら背負いました。仰々しい名前や称号や地位や名声を棄て、説教の内容だけで勝負しようと決心したのです。
 結局私は無位無冠、神の使徒であるという以外の何ものでもないということです。私が誰れであるかということが一体何の意味があるのでしょう。私がどの程度の霊であるかは、私のやっていることで判断していただきたい。私の言葉が、私の誠意が、そして私の判断が、暗闇に迷える人々の灯となり慰めとなったら、それだけで私はしあわせなのです。
 人間の宗教の歴史をふり返ってごらんなさい。謙虚であったはずの神の使徒を人間は次々と神仏の座にまつり上げ、偶像視し、肝心の教えそのものをなおざりにしてきました。私ども霊団の使命は、そうした過去の宗教的指導者に目を向けさせることではありません。そうした人々が説いたはずの本当の真理、本当の知識、本当の叡智を改めて説くことです。それが本物でありさえすれば、私が偉い人であろうが卑しい乞食であろうが、そんなことはどうでもいいことではありませんか。
 私どもは決して真実からはずれたことは申しません。品位を汚すようなことも申しません。また人間の名誉を傷つけるようなことも申しません。私どもの願いは地上の人間に生きるよろこびを与え、地上生活の意義は何なのか、宇宙において人類はどの程度の位置を占めているのか、その宇宙を支配する神とどのようなつながりをもっているか、そして又、人類同士がいかに強い家族関係によって結ばれているかを認識してもらいたいと、ひたすら願っているのです。
 といって、別に事新らしいことを説こうというのではありません。すぐれた霊覚者が何千年もの昔から説いている古い古い真理なのです。それを人間がなおざりにして来たために私どもが改めてもう一度説き直す必要が生じてきたのです。要するに神という親の言いつけをよく守りなさいと言いに来たのです。
 人類は自分の過った考えによって今まさに破滅の一歩手前まで来ております。やらなくてもいい戦争をやります。霊的真理を知れば殺し合いなどしないだろうと思うのですが…。神は地上に十分な恵みを用意しているのに飢えに苦しむ人が多すぎます。新鮮な空気も吸えず、太陽の温かい光にも浴さず、人間の住むところとは思えない場所で、生きるか死ぬかの生活を余儀なくされている人が大勢います。欠乏の度合がひどすぎます。貧苦の度が過ぎます。そして悲劇が多すぎます。
 物質界全体を不満の暗雲が擅っています。その暗雲を払いのけ、温い太陽の光の差す日が来るか来ぬかは、人間の自由意志一つにかかっているのです。
 一人の人間が他の一人の人間を救おうと努力するとき、その背後には数多くの霊が群がってこれを援助し、その気高い心を何倍にもふくらませようと努めます。善行の努力は絶対に無駄にはされません。奉仕の精神も決して無駄に終わることはありません。誰かが先頭に立って薮を切り開き、あとに続く者が少しでも楽に通れるようにしてやらねばなりません。やがてそこに道が出来あがり、通れば通るほど平坦になっていくことでしょう。
 高級神霊界の神々が目にいっぱい涙をうかべて悲しんでおられる姿を時おり見かけることがあり。ます。今こそと思って見守っていたせっかくの善行のチャンスが、人間の誤解と偏見とによって踏みにじられ、無駄に終わっていくのを見るからです。そうかと思うと、うれしさに顔を思い切りほころばせているのを見かけることもあります。無名の平凡人が善行を施し、それが暗い地上に新らしい希望の灯をともしてくれたからです。
 私はすぐそこまで来ている新しい地球の夜明けを少しでも早く招来せんがために、他の大勢の同志とともに、波長を物質界の波長に近づけて降りてまいりました。その目的は、神の摂理を説くことです。その摂理に忠実に生きさえすれば神の恵みをふんだんに受けることが出来ることを教えてあげたいと思ったからです。
 物質界に降りてくるのは、正直言って、あまり楽しいものではありません。光もなく活気もなく、うっとうしくて単調で、生命力に欠けています。たとえてみれば、弾力性のなくなったヨレヨレのクッションのような感じで、何もかもがだらしなく感じられます。どこもかしこも陰気でいけません。従って当然、生きるよろこびに溢れている人はほとんど見当らず、どこを見渡しても絶望と無関心ばかりです。
 私が定住している世界は光と色彩にあふれ、芸術の花咲く世界です。住民の心は真の生きるよろこびがみなぎり、適材適所の仕事に忙しくたずさわり、奉仕の精神にあふれ、互いに己れの足らざるところを補い合い、充実感と生命力とよろこびと輝きに満ちた世界です。
 それにひきかえ、この地上に見る世界は幸せであるべきところに不幸があり、光があるべきところに暗闇があり、満たされるべき人々が飢えに苦しんでおります。なぜでしょう。神は必要なものはすべて用意してあるのです。問題はその公平な分配を妨げる者がいるということです。取り除かねばならない障害が存在するということです。
 それを取り除いてくれと言われても、それは私どもには出来ないのです。私どもに出来るのは、物質に包まれたあなたがたに神の摂理を教え、どうすればその摂理が正しくあなたがたを通じて運用されるかを教えてさしあげるだけです。ここにおられる方にはぜひ、霊的真理を知るとこんなに幸せになれるのだということを、身をもって示していただきたいのです。
 もしも私の努力によって神の摂理とその働きの一端でも教えてさしあげることが出来たら、これに過ぎるよろこびはありません。これによって禍を転じて福となし、無知による過ちを一つでも防ぐことができれば、こうして地上に降りて来た努力の一端が報われたことになりましょう。私ども霊団は決してあなた方人間の果たすべき本来の義務を肩がわりしようとするのではありません。なるほど神の摂理が働いているということを身をもって悟ってもらえる生き方を教えしようとするだけです。
 
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