日本国民に告ぐ
誇りなき国家は、滅亡する
小室直樹・著 ワック出版 
第1章 誇りなき国家は滅亡する

 平成元年(1989年)に、「従軍慰安婦」問題が青天の霹靂のごとく日本人から湧いてきたのは偶然か天意か。あるいは悪霊の復活か。
 これを解明するのが本書のテーマである。本論に先立って、従軍慰安婦問題などの教科書問題がマスコミに現われ、決着がつけられるときのパターンを見ておこう。

 日本ではすでにファシズムが始まっている

 そのパターンとは――。
 反日的日本人が騒ぐ→マスコミが騒ぎを拡大する→これを奇貨として外国が干渉してくる→日本政府が内政干渉に屈する
 いつでもいつも、このパターンになって、定着してしまったのである。パターンが定着し、模型化したことだけ見ても、裏には必ず計画性のあることが見えてくるであろう。
 いくら戦慄しても足りないほどの恐ろしいことは、これが、「反日史観が新たに製造され人々に定着するプロセス」(藤岡信勝「反日史観はこうしてつくられる」――『サンサーラ』平成8年11月号)だからである。このパターン化した過程のオチ――「日本政府が内政干渉に屈する」とは、どういうことか。
 日本政府は、ことの真偽を確かめもせずに外国の言い分をそのまま受け入れる。そして、これまたストレートに、正・不正にかかわらず謝罪する。いつでもいつも、このパターンである。
 昭和57年(1982年)7月26日に中国政府が「歴史の改竄(かいざん)である」と抗議してきた「“侵略→進出”書き直し事件」(渡部昇一「教科書問題・国辱の一周忌」――『諸君!』(昭和58年10月号)から、「従軍慰安婦」問題まで、このパターンはすっかり定着して“シキタリ”になった観がある。「制度化」までされているのかもしれない。
「制度化」までされたと思われる理由は、マスコミが事件を拡大して騒ぎ立てる過程で、反対言論封殺の下位過程が、あたかも「制度」として組み込まれたかのごとくに、必ず作動を開始するからである。たとえば、朝鮮人慰安婦強制連行説。
「朝鮮人慰安婦強制連行説に異を唱えること自体が、非人間的な行為として糾弾の対象とされるのである」(藤岡前掲論文)
 ことの重大さは、言いすぎることはない。今の日本では、すでに言論の自由は圧殺されたと言わなければならない。もし、言論の自由の喪失が“ファシズム事始め”とすれば、日本では、すでにファシズムが始まっている。
 まずは、藤岡氏の命題(文章)を解剖しておこう。はじめに注意すべきことは、
「異を唱えること自体」が「批判」ではなく「糾弾」の対象とされることである。
 
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