日本国民に告ぐ
誇りなき国家は、滅亡する
小室直樹・著 ワック出版 
第1章 誇りなき国家は滅亡する

 かくて反日史観は築かれた

 終戦直後から今日まで、延々と繰り返されている反日史観(日本断罪史観)の根底は、東京裁判史観と1932年(昭和7年)のコミンテルン・テーゼ(「32年テーゼ」)にある。
「32年テーゼ」とは、ソ連共産党が日本共産党に与えた指令書で、日本を強盗国家・封建的帝国主義国家と一方的に弾劾したものである。しかも、証拠も根拠もお構いなし。終始、嘘でかためた言いっ放しにすぎないが、以来、この指令書は反日的日本人の“聖典”とされつづけた。日本人の「自虐の系譜」はかくも根深い。自国の歴史を他国からズタズタに干渉されることを容認するばかりか、狂喜乱舞してこれに飛びつく――。
 これは谷沢永一氏が縷説(るせつ)したことだが、コミンテルンがこういった理不尽な指令を与えた国は日本唯一国であった(『自虐史観もうやめたい!』ワック出版)。なるほど、言われてみれば理の当然。共産主義と愛国心とは次元を異にした概念である。イギリスやフランス、はたまたアメリカの共産党に日本同様の指令など出せば、コミンテルンは各国共産党の総反撃をくらい、ソ連共産党の威信はたちどころに失墜することを、彼らは充分に承知していたのである。
 では、なぜ日本人だけに、こんな無謀なことを行なったのか。谷沢氏は日露戦争の敗北による民族的怨念と人種的偏見(当時、人種差別がいかに猖獗をきわめたか思ってもみよ)によると指摘するが、筆者も異論はない。
 つまり、反日史観は東京裁判史観と32年テーゼとのドッキングにより土台が形成されたのである。換言すれば、いわゆる「米ソ蜜月時代」と呼ばれる短い時代に「米ソの共謀」によって行なわれた陰謀なのである。
 諸学校における歴史教育は、一貫して、右の反日史観によってなされた。この際、日本の歴史家からの反撃は、いっさい許されなかった。ここが急所である。
 この反日史観を支持したのは、米軍当局と米軍によって解放された共産主義者および彼らに連なるマルキスト歴史家どもであった。この経緯だけからしても、当然、反日史観(日本断罪史観)の内容たるや、杜撰かつ粗雑、とうてい学問的批判に耐えうるものではなかった。しかし、この反日史観は、日本の歴史家からの自由な批判を少しも許すことなく、定立され流布されたのであった。
 
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