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第1章 誇りなき国家は滅亡する | ||
外国の事前検閲を受ける日本の教科書 その文部省検定の指向、向きが、この「昭和57年の国辱的教科書問題」の結果、まさに逆転したのであった。反日史観を阻止する、それがかなわなければ少しでも緩和するための文部省検定の向きが、この時点で正反対となった。反日史観を助長し、保護し、拍車をかけることが文部省検定の機能となったのであった。 昭和57年度検定項目が追加されて「近隣諸国への配慮」の一項目が加わった。文部省の意向を拳々服膺(けんけんふくよう)するというのが、教育界の抜きがたい伝統である。その文部省の意向が、彼らが衷心から恐れるマスコミの論調と向きが一致したのだから、一瀉千里(いっしゃせんり)である。 日本の教科書は反日史観のオンパレード。反日史観の巣窟となった。これでもか、これでもかと、「日本悪い国、悪魔の国」と教えつづけるのであった。戦争中の教科書に、「日本よい国、神の国」とあったのと正反対に。 たとえば、朝鮮の「三・一独立運動」や中国の「五・四運動」(いずれも反日運動として有名)が、とてつもなく大きく、日本の歴史教科書に記載されるようになったのであった。 いや、さらに重大なことは、外国による事前検閲が日本に定着したことである。去年の空騒ぎに恐れをなした日本政府は、日本の教科書を北京やソウルの役人に事前検閲をしてもらうことにしたのであった(渡部昇一「教科書問題・国辱の一周忌」――『諸君!』昭和58年10月号)。 これは検閲であって検定ではない。日本の文部省がやる教科書検定(検閲ではない!)に対してすら目くじら立てて噛みつく日本のマスコミが、外国政府による検閲については、いっこうに問題にする様子はなかった(渡部前掲論文)。いや、どうせ外国に検閲されるのだから自己検閲のほうがいいと、日本マスコミの自己検閲マシーンは、わが世の春を謳歌してフル回転を始めた。 マスコミの自己検閲法廷の裁判官席に座った元マルキスト(転びマルクス、隠れマルクス)は、鵜の目鷹の目で、反日史観をネタにして一騒動巻き起こすチャンスはないかと狙っている。だから震源地は、いつも日本。そして、日本で一騒動が起きると、中国や韓国などが待ってましたとばかりに日本攻撃の放列を敷く。これに日本マスコミが付和雷同する。 この際、反対言論封殺のメカニズムがしっかりと取り付けられていることに注意。反対は禁物、タブーなのだ。政治家、特に大臣が反対しようものなら百年目。必ずクビになる仕掛けが出来上がってしまった。このパターンが定着した。ことの重大さは強調しすぎることはない。 |
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