日本国民に告ぐ
誇りなき国家は、滅亡する
小室直樹・著 ワック出版 
第5章 日本国民に告ぐ

 アメリカは日本の報復戦を恐れていた

 ところが、日本には社会科学を戦争目的に利用するという発想すらなかった。アメリカとは、どういう国か。アメリカ人とは、どういう人間であるのか。日本はどうアメリカと戦えばいいのか、という社会学的、心理学的、政治学的研究を、まったくやっていない。詳細は拙著『大東亜戦争ここに甦る』(クレスト社)に譲るが、こんな国家を軍国主義国家と呼ぶことなど、とうていできないのである。
 もし、日本がアメリカ研究をやっていたら、大東亜戦争の戦局はずいぶん違ったはずだ。
 ルーズベルトは、大統領選挙の際「星条旗が正面から攻撃されないかぎり、絶対に戦争しない」と公約し、大統領になった。アメリカの大統領は選挙公約を守らなければならない。
 日本人がこのことを理解し、このルーズベルトの公約を戦争目的に利用するという第一級の戦略発想があれば、真珠湾攻撃という選択肢を選ぶことはなかったであろう。ABCD包囲網で石油をストップすれば日米戦争になるとアメリカの市民に直接、訴えかけることもできた。真珠湾など攻撃せず、蘭印(オランダ領インドシナ、現在のインドネシア)を攻略し、オランダ・イギリスとだけ戦えば、日本は勝てたにちがいない。実際、インパール作戦を例外とすれば、日本軍はイギリス軍に全勝だった(詳しくは前掲拙著参照)。
 ところが、日本人はアメリカの政治を知らなかった。選挙公約の意味すら知らなかった。現在でも総理大臣すら知らないのだから、当時の日本人は皆、知らなかった。戦前の日本の政治家には、軍人や華族も多かった。貴族院議員のうち、皇族と公爵・侯爵は選挙すらない。伯爵・子爵・男爵は互選である。軍人にも選挙はない。犬養内閣より後の首相は、軍人か貴族だった。たとえば開戦前の内閣を遡ると、近衛文麿、米内光政、阿部信行、平沼騏一郎と、みな選挙を経ずして政治家となった総理大臣だった。だから、選挙公約の意味など知らなかったのである。
 日本人研究とともに、アメリカが総力を挙げて取り組んだのが、歴史研究であった。アメリカは徹底した歴史研究、戦史研究を行なった。そこで得た教訓が「日本に対米報復戦を起こさせてはならない」ということだった。
 近代戦とは復讐戦である。1806年、ナポレオンがイエナ(旧東独の南西部の都市)でプロイセン軍を撃滅したのち、プロイセン人は復讐の鬼となった。フランスが普仏戦争(1870〜1871年)に負けると、フランスは復讐の鬼になった。第一次世界大戦でドイツが負けると、今度はドイツが復讐の鬼になり、ヒトラーが天下を取ると、ヴェルサイユ条約を蹴っ飛ばせということになった。
 近代史に学んだアメリカ。その占領政策の第一目的は、日本に対米報復戦をやらせないということだった。アメリカ軍は、太平洋戦争で日本軍があまりにも強いのでびっくりした。日本本土に侵攻したらアメリカの青年は100万人も死ぬにちがいないとアメリカは計算した。こんなことはもうまっぴらだと、アメリカは思った。
 だから、占領軍が日本を武装解除するのは当然で、なんと刀狩りまでやった。
「1945年9月2日、GHQは『指令第一号』を出し、関東、東海地区の民家にあった刀剣類を武器とみなして東京・赤羽の米第八軍兵器補給廠(ほきゅうしょう)に集めた」(平成7年11月1日付朝日新聞夕刊)
 占領軍は、日本の対米報復戦を恐れていた。刀は、実戦の効力がなくても、シンボルとして意味があると思っていた。だから、刀なんか持たせておいたら、ジェロニモみたいにいつ反乱を起こすか分からない、というわけだ。占領直後は、柔道も剣道も、学校の授業で禁じたりした。
 
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