日本国民に告ぐ
誇りなき国家は、滅亡する
小室直樹・著 ワック出版 
第5章 日本国民に告ぐ

 なぜ、日本のマスコミは自主規制するようになったか

 連合国占領軍が日本に上陸したのが、昭和20年9月1日。9月8日には日比谷の第一生命ビルにGHQ(連合国軍総司令部)を設置。9月10日に「言論及び新聞の自由に関する覚書」を通達。9月15日、GHQ民間検閲部長のドナルド・フーバー大佐は、各マスコミのトップを召喚し、「戦争に負けた日本は、文明諸国と同等の権利を認められていない、諸君が呼ばれたのは検閲命令を受けるためである」と言い放つた(石田収編著『新聞が日本をダメにした』現代書林)。
 9月19日には「日本に与える新聞遵則に関する覚書」(プレス・コード)を発表。22日に「日本の放送遵則に関する覚書」(ラジオ・コード)と次々と報道規制を強化していった。
 GHQの検閲は国民生活にまで及んだ。毎日新聞(平成7年10月5日付夕刊)の報道では、GHQが占領下、海外との通信を100パーセント、国内電話を83万回、盗聴し、1億3500万通の電報を検閲したことが明らかになっている。この恐るべき実態は戦後50年間、一切、秘匿されていた。
 GHQの報道規制が巧妙だったのは、その検閲の方法である。たしかに、戦前の日本でも検閲は実施されていた。たとえば、「資本主義を打倒し、革命を起こそう」という原稿があると、その「革命」を、検閲で削除し、伏せ字(空欄や××など)にする。だから、多くの出版物があちこちで虫食いのような状態や×印だらけになっていた。つまり、読者は、官憲が何かを削除したのが分かった。そして多くの場合、それが何であるか推測できた。最も重要なポイントは、検閲をしたという事実が分かったことだ。この方法が採られたのは昭和13年より前である。
 これに較べて、GHQの検閲は巧妙だった。書籍なら書籍、新聞なら新聞を全部指定して、出させない。すべて書き替えさせた。その結果どういうことになったか。
 本音や真実を報道すれば、検閲に引っかかる。本そのものを出版できない。新聞(雑誌)も、紙面(誌面)そのものがやられたら、大損害。会社が倒産してしまう。だから、著者も編集者も新聞記者も、こぞって自主規制するようになった。
 この間の事情を、さらに正確に論ずれば、次のようになる。
 戦前、内務省の警保局は、「早急に伏せ字を消滅させて読書人や国民に検閲が行なわれたことを気づかれぬように」する必要を感じた(松浦総三著『占領下の言論弾圧』現代ジャーナリズム出版会)。
「当局(内務省)の手口は、次第に巧妙になった。事後検閲が事前検閲に切り替わり、発売直前の校正刷りで検閲が行なわれるようになった。削除された部分は伏せ字の××で埋め、禁止になったものは、他の原稿と取り替えて発売へとこぎつけたわけである」(同右)
 次のステップは――。
「まもなく伏せ字も許されなくなった。削除が読者に分からぬように、文章の前後をつなぎあわせろと、私たちは役人に命じられた」(同右)
 そして、第1章で述べたように「事前検閲は、編集者自身の手による自己検閲という奇怪な手段を生みだした」(同右)のであった。どうせ検閲されるのだから、自分たちであらかじめ検閲し、そういった記事を載せよう。そのほうが手間もかからないし、効率もよい、というわけである。
 戦前の日本のマスコミには、これと断乎として戦うという信念は見られなかった。欧米のジャーナリストのように「報道の自由」にあくまで殉じる、という気風は育っていなかったのである。結局、日本のジャーナリストは、経済的理由によって「言論の自由」を犠牲にするばかりか、「自己検閲」という言論圧殺手段を自ら発明するに至ったのである。その体質、知るべきのみ。
 かくて、昭和13年には、『改造』や『中央公論』には伏せ字はなくなった。
 このようにして、「削除されそうな部分を検閲前に削りとるという編集者として恥ずべき行為が、当然のことのように行なわれた」(同右)のであった。
 どんな恥ずべき行為も経済的理由のためには仕方がないIこの悪しき伝統主義の
 “シキタリ”は日本マスコミの中で自主的に確立されたのであった。
 戦後、この“完全犯罪”はアメリカ軍によって引き継がれ、見事に成功した。国民は検閲が行われていることに気付かなかったのである。
「アメリカは完全な言論の自由を与えた」という神話は、深く広く浸潤していった。この神話のもとでの“完全犯罪”が、いかに絶大な威力を発揮したか。
 有史以来初めて、占領軍は被占領民の完全なマインド・コントロールに成功したのであった。日本人は占領軍の意のままに洗脳されたのであった。そのことを少しも知らないうちに。
 しかも、悲劇的なことに占領軍が去っても、ジャーナリズムの自己検閲は残った。マインド・コントロールの結果も残った。
 日本は伝統主義の国である。ひとたび確立された“制度”“シキタリ”は、状況が変わり存在理由がなくなっても、依然として生き残る。不動の巌のごとくに。
 かくて、占領当時の遺物は、占領軍が去っても、ますますその暴威をたくましくしている。
 
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