日本国民に告ぐ
誇りなき国家は、滅亡する
小室直樹・著 ワック出版 
第5章 日本国民に告ぐ

+ なぜ日本のマスコミは”転向”したか

 ではなぜ、朝日新聞はじめ日本の巨大マスコミが、「A級戦犯」的暴走をしたのか。戦後も自己検閲のヴェクトルの向きを変えないのか。考えてみれば不思議千万ではないか。これら巨大マスコミは、けっして権力批判を閑却しているわけではない。官僚制腐蝕分析の貴重なデータは多い(例、『公費天国』朝日新聞社、『醜い官僚たち』毎日新聞社など)。それでいて、徹底的に事実を捩じ曲げた反日的教科書には一顧だにしないのである。こんな不思議はないではないか。
 戦後、朝日新聞がその論調を一転させたのは、敗戦が原因ではない。終戦直後の一ヵ月間は、戦前と同じ論調の記事で埋め尽くされていた。
 ところが、原爆投下は「国際法違反、戦争犯罪」と非難した鳩山一郎(のちに首相)のインタヴュー記事(昭和20年9月15日付)、さらにはGHQが「フィリピンでの日本軍の残虐行為」と発表した内容を「日本人としては信頼できぬことだが」と婉曲に批判した記事の掲載を最後に、突如として変貌する。それらの記事が占領政策に反するとして、9月19日と20日の2日間にわたり発行禁止処分を受けたからである。
 この日を境に、朝日はその論調を一転させ、爾来(以後)、GHQの言いなりになっていったのである。満州事変以降、軍部に迎合していったのと同様に――。
 そして今も、日本ジャーナリズムの旗手を標榜しながら、戦後60年間にわたって、「東京裁判史観」に染まった反日的な論調を無遠慮・無責任に掲げつづけている。
 永年の自己検閲の習慣が身につくと、ついにはその主張を正義と信じこむようになるのは、まさに麻原彰晃(あさはらしょうこう)のマインド・コントロールに支配されつづけるオウム真理教信者のごとし。ここにGHQの陰謀は、見事な成果を上げたのである。
 ひとり朝日の責任にだけ帰せられないこととはいえ、戦後のマスコミの自主規制が生んだ弊害は強烈だった。読者は、GHQによって検閲されたのかどうなのか分からない。だから、押しつけられた報道なのか、客観的な事実報道なのかが分からない。その点、伏せ字が主流だった戦前の検閲と全然違う。
 戦前の検閲(昭和13年頃まで)は、当局がやったということが分かるから、著者、編集者の真意ではないけれども、やむなくこういう記事になったということが分かる。だから、当局の意見はおかしいんじゃないか、検閲を受けたほうの意見が正しいのではないか、と自分の頭で考える余地が生まれる。
 その点で連合国の検閲は、絶妙だった。検閲したという事実すら、隠蔽し、糊塗した。どうせ検閲で駄目になるのだったら、はじめから検閲を通るようなものを書いて持っていくという自主規制の空気、慣習が定着してしまった。マスコミも著者も、権力に阿(おもね)るという習慣ができてしまった。このことは、依然として伝統主義が支配する日本では由々しきことである。
 
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