国家の大義
世界が絶賛したこの国のかたち
前野 徹・著  講談社+α新書

 日本経済を売り渡した指導者

 21世紀の今日では、国際社会の非難を浴びるため、軍事力によるあからさまな侵略は、さすがに先進国の間では影を潜めています。しかし、侵略は軍事力による制圧だけではありません。戦後も、経済的な侵略、思想的な侵略、資源の侵略と、様々な形で国家間のせめぎ合いは続いてきました。
 西洋による侵略の危機という意味では、1980年代の末からアメリカによって仕掛けられた日本のグローバル化をあげなければなりません。キリスト教という宗教に名を借りて侵略が行われようとしていた信長、秀吉、家康が生きた時代と、非常に似ていたと言えましょう。80年代、アメリカは経済においては日本に押されっぱなしでした。日本に一人勝ちをもたらしたのは、その高い技術力と日本式の経営システム。
 この時、巻き返しを図ろうとしてアメリカが持ち出してきたのが、金融の国際化、自由化でした。金融の国際化と言えば聞こえがいいのですが、要は自国のルールの押しつけです。当時、このアメリカの要求に日本の指導者、官僚は、どう対処したか――。それがどのような影響を日本の経済に与えるか、知ってか知らずか、何の躊躇もなくそれを受け入れ、金融ビッグバンの名のもと、矢継ぎ早にシステムを変更していきました。
 金融の国際化、自由化は確かに世界の潮流のひとつではありました。しかし、すべての国がアメリカンスタンダードの金融解放を受け入れたわけではなく、日本のように過激な改革に踏み切ったのはむしろ、例外です。たとえば、日本同様アメリカから金融の自由化を迫られたイギリスでは、サッチャー政権下、10年間という月日をかけて、証券と銀行の垣根を取り除いていきました。
 対して日本の指導者は、何の定見もなく、アメリカの要求を丸飲みにした。おかげで、日本の金融、経営はメチャクチャに破壊されてしまいました。なかでも国際決済銀行の自己資本比率(総資産額に対して自己資本の占める割合)8%以上というBIS規制の要求は、日本型経営を根底から揺るがしました。
 日本型経営とアメリカ型経営の最大の違いは資本の調達法でした。貯蓄性向が高い日本では、銀行から融資を受けて経営をするという間接金融が資金調達の主流でした。かたやアメリカでは、株式を始めとする金融市場から資金を調達する直接金融です。
 日本式の間接金融でも、何ら問題はない。銀行が貸してくれさえすれば、資金は回っていくので、健全な経営が続けられます。しかし、いったん融資を打ち切られると資金繰りが行き詰まり、たちまち経営は破綻するという弱点をかかえています。
 アメリカはこの弱点を、「グローバリゼーション」という大義をしつらえて、鋭く突いてきました。こうして、国際決済銀行の資格を失いたくない銀行は、自己資本比率を維持するため、貸し渋りを行いました。結果、直接金融市場から資金を調達する手段を持たない非上場企業には資金が回らなくなり、倒産に追い込まれました。
 倒産すると、その所有していた土地が次々と市場に放出されるので、土地の資産価値が減少します。すると、土地を抱える優良企業も担保割れを起こして、不良債権がどんどん膨らみました。その結果、金融機関は不良債権の増加を恐れて、さらに貸し渋り、貸し剥がしをしようとする。挙げ句、健全な企業まで倒産に追い込まれる。地価もさらに下がり、深刻なデフレスパイラルに陥る――このような悪魔の循環を招きました。
 そこに群がったのがアメリカのハゲタカファンドでした。彼らは急落した資産や経営が苦しくなった企業を買いたたき、買いあさって、ただ同然で次々と手に入れ、莫大な利益をあげました。こうして現在、少し名の知れたゴルフコースはほとんど外資のものになっています。現在では、景気に少し明るさが戻ってきたとはいえ、「失われた10年」と言われる90年代の後遺症は実に大きい。日本経済の仕組み、企業経営者の心まで変えてしまったからです。
 
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