なぜ世界の人々は
「日本の心」に惹かれるのか
 
呉善花・著 PHP研究所
 

4 警官の涙

 明治26年(1893)6月7日正午、四年前に熊本で警察官を殺害して逃亡した強盗犯が、福岡で捕らえられて熊本へ護送されてきた。殺された警察官は、地元の人々からの人望がとても厚い人物だったという。そのためだろう、熊本駅前には多数の群衆が押し寄せ、一帯はきわめて穏やかではない雰囲気に満ちていた。その群衆の中に、当時、第五高等学校(現・熊本大学)で教鞭をとっていたラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の姿があった。ハーンはいったい何が起きるのだろうかと不安な気持ちを抱いていたようだった。
 列車が到着すると間もなく、一人の警部に背中を押されるようにして、後ろ手に縛られ首をうなだれた犯人が改札口から出てきた。警部が犯人を改札口の前に立ち止まらせると、群衆はいっせいに前の方へ押し出てきたが、しかし静かに見守るような様子であった。
 そのとき警部が大声で呼んだ――と、ハーンはそこで見た光景を次のように書いている。
「『杉原さん、杉原おきび、来ていますか』
 背中に子供を負うて私のそばに立っていたほっそりとした小さい女が『はい』と答えて人込みの中を押しわけて進んだ。これが殺された人の寡婦であった、負うていた子供はその人の息子であった。役人の手の合図で群衆は引き下がって囚人とその護衛との周囲に場所をあけた。その場所に子供をつれた女が殺人犯人と面して立った。その静かさは死の静かさであった」
 警部はその子に向かって、低いがはっきりした声で話しかけた。
「坊っちゃん、これが四年前にお父さんを殺した男です。あなたは未だ生れていなかった。あなたは母さんのおなかにいました。今あなたを可愛がってくれるお父さんがないのはこの人の仕業です。御覧なさい、(ここで役人は罪人の顎に手をやって厳かに彼の眼を上げさせた)よく御覧なさい、坊っちゃん、恐ろしがるには及ばない。厭でしょうがあなたのつとめです。よく御覧なさい」
 ハーンが見ていると、その男の子は母親の肩越しに犯人の顔を恐れるように見やった。それからすすり泣き、涙を流しながら、恐れを追い払うようにしてしっかりと、眼をそらすまいと力を込めているかのように犯人の顔を見つめ続けた。そのとき「群衆の息は止まったようであった」とハーンは記す。
 犯人はみるみる顔をゆがませると、突然身体の力が抜けたかのように倒れこみ、地面に顔を打ちつけ、声を震わせて叫ぶように言葉を放った。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんして下さい、坊っちゃん。そんな事をしたのは怨みがあってしたのではありません。逃げたさの余り恐ろしくて気が狂ったのです。大変悪うございました。何とも申しわけもない悪い事を致しました。しかし私の罪のために私は死にます。死にたいです。喜んで死にます。だから坊っちゃん、憐れんで下さい、堪忍して下さい」
 子供は無言のまま泣き続け、警部は犯人を引き起こし、二人が歩きはじめると群衆は左右へ分かれて道をあけた。すると、突然に「全体の群衆」がいっせいにすすり泣きをはじめた。と同時にハーンは、犯人をつれて歩く警部の顔に涙を認めて大きな驚きをもった。
「私は前に一度も見た事のない物、めったに人の見ない物、恐らく再び見る事のない物、即ち日本の警官の涙を見た」
 群衆が引き上げていくなか、ハーンは「この光景の不思議な教訓を黙想しながら」一人その場に立ち続けていた。
 ハーンはいう。この場には「罪悪の最も簡単なる結果を悲痛に示す事によって罪悪を知らしめた容赦をしないが同情のある正義」があった。犯人には「死の前に只容赦を希う絶望の悔恨」があった。
 さらにここでハーンが見た群衆は、「凡(すべ)てを理解し、凡てに感じ、悔悟と慚愧に満足し、そしてままならぬ浮世と定め難き人心をただ深く経験せるが故に憤怒でなく、ただ罪に対する大いなる悲哀を以て満たされた群衆(怒った時には恐らく帝国に於て最も危険な群衆)」であった。
 ハーンはこの場面の性格は、「最も東洋的」かつ「著しい事実」であり「どの日本人の魂にも一大分子となって居る」ところの、「子供に対する潜在的愛情に訴えて悔恨を促した」ことにあると見た。それでも、この挿話はさらに日本人の一般的な心情倫理のあり方を物語っているといえるだろう。
 大いなる罪を犯した者が、まちがいを悟り後悔しているんだなと、反省してみずからの行為を恥ずかしく思っているんだなと心から理解できたとき、人道にもとる凶悪犯人への怒りが消えて、その代わりに罪に対する悲しく哀れな気持ちで心がいっぱいになる――ハーンが目撃したのは、まさしくそうした日本人の心情倫理が息づくさまであった。
 日本人がしばしば口にする「罪を憎んで人を憎まず」の言葉が、単によき理念を表す格言としてあったのではなく、日常の実際的な状況のなかに生きる倫理観としてあったことが、ハーンが語ったこの明治期の一エピソードからひしひしと伝わってくる。
 このような日本人の心情倫理は今なお健在だろうか。
 昨今のテレビ報道でしばしば耳に入るのは、「どうか犯人を死刑に処してください」「生涯、けっして許すことはできません」といった犯罪被害者遺族たちの声である。もし私が親兄弟姉妹を殺害されたとすれば、同じような言葉を吐くかもしれないと思う。それは、現在の社会ではハーンが目撃したような場面を体験することが、「けっしてない」とすらいえる現実と深くかかわっているのではないだろうか。
 今では、犯罪者(の思い)と被害者遺族(の思い)が接点をもつことは許されない。犯人に心からの「反省と悔恨」があると人づてに聞いても、身体で感じ取れる直接性を得ることはできない。言葉だけ……との思いから、いっそう受け入れられない気持ちが強くなるばかりだ。とすれば、遺族たちはどのようにすれば、罪人への憤怒の情から罪への悲哀の情へと移り変わることができるのだろうか。また罪人はどのようにすれば、自らの「容赦を希う絶望の悔恨」を被害者遺族に伝えられるのだろうか。
 ハーンが目撃した明治期の警部の「はからい」のような実際的な契機はなくとも、「罪を憎んで人を憎まず」の気持ちは今なお日本群衆のものであり、当事者もまた、やがては日本群衆の気持ちに同化していく――私にはそう信じられる。
 犯人が死刑になろうが恨み続けようが、亡くなった者は帰ってこないけれども、人は死ぬと神となり仏となり、この世の一切の善悪を超えた存在となる。こうした鎮魂への思いが強ければそれだけ、「罪を憎んで人を憎まず」の平穏なる気持ちへ至ろうとするのではないだろうか。死者の供養に一切を許していこうとする日本人は今も健在だと私は思う。
 
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