なぜ世界の人々は
「日本の心」に惹かれるのか
 
呉善花・著 PHP研究所
 

24 武士道の美学

 韓国や中国には、日本や西欧のような、武人統治下に成熟した封建制社会の歴史がない。韓国でも中国でも、倫理・道徳の基本は儒教的な制度であり、その担い手は王朝国家の文人高級官僚であった。朝鮮の王朝国家では武人の地位は文人よりもずっと低く、武人のなかから独自の倫理・道徳観が育つことはなかった。儒教の倫理・道徳は、朱子学による礼儀作法・冠婚葬祭の書『文公家礼』を通して、広く民衆の間に制度として根づいていった。
 それに対して日本では、武人に発した武士道が、制度ではなく生き方の道として江戸時代には一般の町人階層にまで大きな影響を及ぼし、以後の日本人の倫理・道徳の基本を形づくっていった歴史がある。
 封建制社会は必ずしも君主絶対主義ではなかった。中世・近世の武家社会では、主命を絶対とする倫理や制度がある一方で、その主命がまちかっていた場合は、さまざまな方法を用いての主命撤回への努力が行なわれていた。
 封建制度のもとで主命に背(そむ)くには、死を覚悟しなくてはならなかった。それでもなお、君主の過失を指摘して忠告し、異議を申し立て、それでも聞き入れられなければ君主の身柄を監禁したり、場合によっては退位させたりすることが、家臣たちの間で行なわれてきたことはよく知られている。
 たとえば江戸時代中期の著名な武士道論書では、一方では「主君の命令には理非にかまわず従え」と説いており、他方では「主君の命令が自分の気にかなわなければ徹底してその非を主張し続けよ」と説かれている。武士道は、こうした相互に矛盾する倫理をともにもち抱えていたのである。
 儒教の朱子学や陽明学にも、臣下の者は君主が天命に背けば忠告し改めさせるべきだとする考えがある。日本の武士の倫理・道徳も、そうした儒教モラルに発すると見なす人もいる。しかしながら文人と武人では生活事情が大きく異なっている。
 そもそも戦場で命を落とす覚悟で武士となった人たちは、命を預けられるだけの実力、器量をもった人物に従った。また、それぞれの所領をもつ武士たちは、すべての臣下に対して公平に所領の安全をはかってやれるだけの統率力のある人物を求めたのである。儒教モラルよりもこの伝統がまず先にある。
 これは漁師など海に生きる人たちの間でも同じことだった。船底の「板子一枚下は地獄」という、命のかかった海の仕事の統率者は、それだけ年季の入った大きな器の人物でなくてはならない。そうでなくては命がいくつあっても足りないからだI経験豊富で飛び抜けた器量分持ち主を統率者にして、全員が力を合わせて漁をする伝統が漁労民のものだ。これは狩猟民でも同じことがいえるだろう。
 いいかげんな統率者、全体を危機に陥れるような統率者は排除されなくてはならない。そうでなくては共同体が維持できないのが、漁労民・狩猟民や武士団―−戦士共同体というものである。日本の武士団というものは、そうした人々の体を張った生活を通して培われてきた倫理を自分たちのものにしていくことで、強固な連帯を維持してきたといえるだろう。少なくとも農民や王朝貴族の間からはけっして発生することのない倫理的な伝統を、武士たちの背景に考えなくてはならない。
 同じことが職人集団についてもいえると思う。親方と徒弟の関係は、親方に対する強い信頼がなくては成り立たない。親方が器の小さい人物だったり、いいかげんな技術の持ち主であれば、弟子はたまったものではない。すぐれた技術を身につけることができず、将来独立して仕事をすることなど、とうてい望めないからである。博打打ちや香具師の集団にしても、それは同じことだったはずである。
 町人の世界で重視された義理人情も、深い人倫関係を介しての相互の助け合いと、物事の筋道を通した上下や横の関係から生み出されていったものだ。武士道が町人の間に影響を与えたのも当然のことだった。
 武士たちは儒教モラルの影響下に武士道を形づくったのではなく、自分たちの倫理に対応するものを朱子学や陽明学のなかに発見し、あるいは自分たちにふさわしいものへつくりかえて取り入れていったのである。たとえば、徳川幕府の朱子学者が書いた書物のなかに、ある君主の言葉が次のように紹介されている。
「私は、お前たちが各自もち抱えている義理を曲げても、私一人に忠節を尽くしてもらいたいとは、ゆめゆめ思っていない。また私に背かれても、お前たちが各自の義理を違えることがなければ、それは私にとっては他にかえがたい貴重なことである」【乙
 ここでいう「各自の義理」とは、戦士たる武士各自が個人の内面にもち抱える正義であり善である。制度的な君臣関係よりもそれを優先すべきであると、この君主は臣下に説いたのである。
 武士各自に求められたのは、個人が個人の内面を厳しく律することだった。戦士が一個の自立した戦士として生きるためには、それは必須の要件であった。倫理・道徳というものは、外部から人を律する制度としてではなく、人々の内面の精神律としてある限り、美しいものとしてあることができる。この内面性を貫徹する生き方が、武士道を精神の美学として成立させたのである。
 
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