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20 カラオケ文化と劇画文化 日本発の世界的な広がりを見せている大衆文化といえば、なんといってもカラオケ文化と劇画(及びアニメ)文化である。この二つが入っていない地域を探すほうが難しいといえるほど、どちらもすさまじいばかりのパワーで、あっという間に世界の諸国を席巻してしまった。なぜこれほどまでに普及したのだろうか。 カラオケ文化と劇画文化は、たまたま日本が最初に生み出したというものではなく、まず日本以外では生まれ得なかったものだ。 カラオケの語源は「空っぽ」と「オーケストラ」を合わせた言葉だという。もともとは日本のバンドマンたちの間にあった俗語で、「空オケで練習しよう」というと、歌手抜きで演奏の練習をすることだったそうである。また、生の伴奏をするのではなく、伴奏部分だけを録音して再生することを「空伴奏」とか「空オケ」といったともいわれる。昭和46年(1971)にひとりのバンドマンの手でカラオケ装置が作られ、やがてバーやスナックに置かれるようになっていった。 それではカラオケの心とは何か。空っぽの器に魂を込める心である。カラオケという素敵な器がある、よしこれに自分の魂を込めてやろう、誰もそういう気持ちになって歌いたくなるに違いない――。こんな発想は日本人にしかできようのないものだと思う。仏像を作れば、必ずそれに魂を入れてやらなくてはならない。自分で魂を入れてやることのできる商品、それがカラオケなのだ。 日本には平安時代末期の「鳥獣戯画」のような戯画、近世の浮世絵・禅画などに見られる漫画的手法から、近代の漫画へ、さらには今のような表現豊かな劇画表現にいたるまでの長い歴史があった。劇画のルーツは紙芝居にあるともいわれるが、1960年代から『カムイ伝』などに代表される劇画が登場するようになったという。高度な心理描写までを含む表現ということでいうと、おそらくは1970年代の少女漫画以降のことではないだろうか。 欧米の漫画表現はきわめて単純なものだが、日本の劇画表現はものすごく生命的に複雑なものだ。まず現在の場面があり、そこで登場人物が誰かと話していながら、同時に過去の記憶を思い浮かべていたり、同時に表面の言葉とは別に心の奥深くに思っていることが出ていたり、同時に別の土地で誰かと会っている自分がいたりする。それだけ多様な心の動きが、たった1コマで表現されていることすらある。 実際の人間の心というものは、たしかにそういうふうに、短い時間のなかでも多様にかつ多方面に、あちらへ、こちらへと常に動いているものである。劇画で描かれているのは、そのように時間と空間を超えて自由に活動する、人間や自然物に共通な魂(アニマ)の世界だ。これも日本人ならではの表現方法だと思う。 カラオケ文化と劇画文化の底を流れているのは、私の言葉でいうとソフトアニミズムである。アジア、アフリカ、南太平洋地域などに特有な激しく仰々しいシャーマニズムとかアニミズムではなく、日本の温暖で季節感豊かな自然環境によくマッチした優しく柔らかなアニミズムが日本文化の基調にある。 現在の日本のなかには、明らかに西洋的な日本もアジア的な日本もあるわけだが、もうひとつ、前アジア的な日本というのがある。農耕アジア文化以前の自然生活のなかで形成された精神性といえばよいだろう。中国にも韓国にも農耕文化以前の精神性が残っているとはいえないが、日本にはそれが残っていて、ソフトアニミズムというのは、そこから発信されているというのが私の考えである。 ソフトアニミズムの内容を形づくっているのは、自然を崇拝の対象にする自然信仰ではない。あらゆる自然物や自然現象には人間と同じ魂(アニマ)が宿っている、人間も動植物もみな対等な存在なんだ、仲間なんだという精神性である。あらゆる物に魂が宿ると信 じるのがアニミズムだが、ソフトアニミズムは「同じ仲間なんだ」というところにいっそうの強調点が打たれる性格のものだ。 キリスト教や西洋文明は地球上に最も広く普及したが、それは人々の頭上に広がる普遍性があるからだろう。それに対してソフトアニミズムは、人々の腹の底から広がる共通性をもっていると思う。カラオケ文化と劇画文化の世界的な普及は、この共通性によるものではないかと思う。 アメリカの大衆文化が世界的に普及したのは、旧慣にとらわれない自由な感覚が、それまでの古いモラルに縛られていた感覚を大きく解放してくれたからだろう。カラオケ文化と劇画文化は、感覚だけではなくアニマ=自由な心の動きを解放してくれている。 私はソフトアニミズムと同じ構造の精神性は、人間ならば幼児の時代に誰もがもっていたものだと思う。お人形さんごっこも、おままごとも、男の子たちのロボットやミニカーなどのいろいろな遊びも、まさしくこの精神世界に包まれている。 他の諸国では、ソフトアニミズムは文化的な精神性としては消え去ってしまったけれど、精神の奧深くにはどんな人でもこれと同じ幼児時代の心が眠っている。西洋近代の文化もアジア的な文化も、ともに枯渇状態になってしまったところで、日本発の文化が、世界の人々の心の内なるソフトアニミズムを強く刺激するようになっているのではないだろうか。 |
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