地球の支配者は
爬虫類人的異星人である
太田龍・著 成甲書房 
2 日本人だけがなぜ、これほど純情でウブか

 今や西洋文明に打ち勝つのは日本人だけ

 今日のバベルの塔はめまいがするほどの高さに達した。塔はいまや至る所できしみ始めた。最初のひびはすでにはっきり目に見えるようになった。吟味した結果、基礎はしっかりしていないことが判った。それどころか強度計算さえされていなかったことが判明した。
 この建造物全体をあらかじめ企画し、設計した建築家は存在しなかったのだ。
    (『収穫された地球』350頁)


 またしてもここにバベルの塔のお話が出現する。ヘルベルト・グルール、この人はたしかに「キリスト教徒」だ。
 今日では全世界で10数億人と称されるキリスト教徒(聖職者プラス信徒)のほとんど全員が、棄教者、背教者、名目だけのキリスト教徒、ないしはむしろ反キリストの手先、サタニスト、ユダヤ教徒、タルムード派ユダヤの操り人形、唯物論者、マルクス主義者、自然主義者、民主主義者、ヒューマニスト等々と化した。本物のキリスト教徒はまことに微々たるもの。滅多なことではそんな人にはお目にかかれない。
「今日のバベルの塔はめまいがするほどの高さに達した」とはグルールの見立てである。それではどうすればよいのか。二つの解決策しかない。
 第一、今日のバベルの塔が瓦解するのを傍観する(ただしこれは「解決策」などというご立派なものではないが)。そのときには少なくとも20億の人間を埋め尽くすこととなろう。
 第二、塔の上部を一部取りのけること。しかし、この解決策が実現する見通しはきわめて少ない(『収穫された地球』351頁)。〉。
 つまり、結論はいかなる解決策もない。
 創世記に記述されているバベルの塔の崩壊は、ノアの大洪水のあとの話である。これも、創世記の他の多くの部分がそうであるように、シュメール神話からの引き写し、ないしは、いかにもあの悪魔的ユダヤ手法による無断盗用と改作である。
 疑いもなく、ユダヤ悪魔主義によって偽造改造される前のシュメール神話には、古代ギリシヤ神話と、それを題材とした古代ギリシャポリスの悲劇にさえ、西洋地中海オリエント世界に出現した凶々しい自然征服文明についての、人びとの真剣な自己反省の念が表現されているかのようである。
 イエス・キリストが、パウロ派キリスト教会のドグマの主張するように、唯一絶対全知全能のGodのただ一人の息子であるとの説を私は信じないが、にもかかわらず、有名な「山上の垂訓」(『マタイ伝』第五、六、七章)を読むだけでも、イエスが、西洋の自然征服・破壊文明を悪魔の業として、断然これを否認する立場を取ったことは自明のところである。

「野の百合は如何にして育つかを思え。労せず、紡がざるなり。然れど我なんぢらに告ぐ、栄華を極めたるソロモンだに、その服装この花一つにも及かざりき」
 (『マタイ伝』6の28−29、『ルカ伝』12の27)

「尽きぬ財宝を天に貯へよ」(『ルカ伝』12の33)


 このように説くイエスが、バベルの塔の建設を命令し、またそれを容認することがありうるであろうか。そんなことは金輪際あり得ない。
 バベルの塔。それは長い間、キリスト教徒にとっては邪悪なるものの代名詞であった(そのはずであった、少なくとも建前上は)。ところが今や、キリスト教国と自称する欧米西洋は、バベルの塔をどこまでも高く積み上げ、とどまるところを知らない。
 これは危ない、と警告したヘルベルト・グルールは、西ドイツ・キリスト教民主同盟から追放され、自分が創設した西ドイツ・みどりの党からさえ、その党の中になだれ込んだマルクス主義的無神論的唯物論的悪魔主義的左翼暴力団によってたちまちのうちに追放された。
 グルールの著書(原題『一つの惑星が略奪される』)が出版されてから約30年。この間に西洋はバベルの塔の最上階を取り除くどころか、逆にその上に、電子的コンピューター的バベルの塔をものすごい勢いで積み上げたのである。
 もはやいかなる「解決策」もありえないのか。人びとは、この西洋オリエント地中海世界が作り出したU型自然征服V型自然破壊文明の全的瓦解を傍観するしかないのか。
 ここでの「人びと」とはいかなる「人びと」か。そこに我々日本民族も含まれるのか。それこそ大問題だ。「解決策」はない。
 しかし、この全面崩壊をさらに人工的に促進することは可能だ。人類全滅の危険を冒して一大バクチを打つことは可能だ。つまり、全人類の命運を賭けるのである。しかしそんな連中が現実に存在するのか。これこそ、今、我々日本民族が解かなければならない根本的本質的問題なのである。
 
← [BACK]          [NEXT]→
 [TOP]