地球の支配者は
爬虫類人的異星人である
太田龍・著 成甲書房 
3 太古より地球の支配者は異星人である

 我欲主義は他者犠牲の上にのみ成り立つ

 西洋の宗教のみならず、西洋の科学技術、西洋の倫理道徳、西洋の芸術芸能もまた、我欲我執を原核としている。
 それを「個人主義」と翻訳することは危険である。それは大きな間違いだ。単なる「個人」「一人の人間」ではない。我執の固まり、我欲我執の凝固した個人である。
 西洋の科学は、宇宙の真理を探究するためのものなどというご立派なしろものではない。それは我欲実現の手段である。科学技術は、我欲実現を妨害する邪魔物を排除するための手段である。邪魔物を排除するとは、我にとって有害な他者客体を効率的に除去して、客体を我の都合に合わせて改造することである。
 これは西洋科学技術の無条件の前提である。
 西洋人は倫理道徳に二つの型あり、とする。一つは利己主義。もう一つは利他主義。その原語はアルトルーイズム。これはアルター(別のもの、他者、もう一つのもの)からの造語である。
 アイン・ランド(1905-1982)によれば、利己主義と利他主義の区別は、19世紀フランスの実証主義哲学者コントの説であるという。利己主義とは自己の利益を他者の利益の上に置く考え方、利他主義とは他者の利益を自己の利益の上に置く道徳原理のこと。この場合の他者は、自然界のみならず、他のすべての人は、自分の属している民族、国家、宗教共同体、いな、自分の家族、親きょうだい、自分の子供も含む。
 アイン・ランド女史は「利他主義は、他者のために自己を犠牲にする野蛮人の道徳である。利己主義こそ唯一の文明的道徳である」などと言う。
 彼女はたしかに西洋オリエント文明の本質を、究極まで煮詰めたかたちで現出している。しかしながらこの言い方は目に見える表層に過ぎない。自己を犠牲にしないということは、実は、「我」のために「他者」を犠牲にすることと表裏一体である。我欲のために他者を犠牲にすることは当然であり、正当であり、合理的である、と見なされる。
 西洋の論理では、我欲絶対至上主義は必然的に、他者犠牲の行動を生み出す。そしてこの他者犠牲は、

(1)他者を犠牲にする儀式、すなわち儀式殺人
(2)日常業務、つまりビジネスとしての他者犠牲(殺人)の作業


 この二つの要素から成る。このことは西洋文明の奥義、秘儀、神髄である。
 日本人はそこのところが絶望的なまでに見えない。
 日本の神道、つまり日本人のくらしの「ハレ」と「ケ」は、

(1)儀式殺人、つまり他者を犠牲として殺害する、聖なる時間空間
(2)日常業務、ビジネスとして他者犠牲殺害を実行する世俗の時間空間


 という具合に対応する。
 西洋文明には儀式殺人に関して三つの系統が存在する。

(1)儀式殺人を公然、白昼堂々と実行する場合
(2)儀式殺人を極秘のうちにとり行なう場合
(3)公然満天下の目の前で儀式殺人を遂行するけれども、公衆に対してはそのことを秘密とし、その殺人が事故、自殺、単純な暗殺ないし変死であるかのごとくに宣伝する場合


(3)の典型はもちろん、1963年11月22日、米国テキサス州ダラスで起きたケネディ米大統領の暗殺であり、さらに1997年8月31日、パリで発生した英国ダイアナ妃の暗殺(交通事故としてパリ警察は処理)である。
 
← [BACK]          [NEXT]→
 [TOP]