「白人スタンダード」という
新たなる侵略
清水馨八郎・著 祥伝社 

 白人のトラウマに刻み込まれた「優勝劣敗」の法則

 11世紀から13世紀にわたる聖地奪還の名のもとに進められた十字軍の蛮行は、キリスト教的野蛮性、侵略性、狂気性が一度に爆発した大事件であった。第1回の遠征は相手が不意討ちで無防備だったから成功したが、その後7回はすべて失敗に終わっている。当時のイスラム圏は西欧よりはるかに文明が高く、対応されたら歯が立つはずはなかった。イスラム側は彼らを「西欧の野蛮人」として恐れ、軽蔑した。
 十字軍の当初は宗教的情熱が見られたが、後になると宗教の名を借りた無頼の強盗団に成り下がり、行くところ手当たり次第の略奪行為で、十字軍の通った後には草木も生えないという惨状を呈した。
 この長期間にわたる十字軍の遠征で訓練されたヨーロッパ白人の蛮行が、15世紀以後の世界的大侵略時代に大いに発揮されたことは、先にも述べたとおりである。それは世界史上「大航海時代」などと美称するものでなく、世界規模の十字軍の大暴虐時代というべきである。さらに、世界的な海賊バイキング時代ということができる。
 私たちはかつて学校での西洋史は、ゲルマニア民族の大移動から始まるものと教えられた。それはロマンチックに受け取られたが、これは大変な出来事だったのである。
 ある民族が難民となって大移動すれば、既存の住民と土地や資源をめぐって激しい奪い合いや殺戮が起こる。追い出された民族とその隣りの民族とで、生死を懸けての抗争が起こる。この玉突き的ドミノ現象も、途中で強い民族がおれば、また逆のドミノ現象で追い返される。耕地が少なく自然環境の酷しいヨーロッパでは、民族移動という名の、押したり、押し返したりの抗争が何百年も続いてきたのである。その現象は現在にもおよび、コソボは、激しい争いが今日も続いている。
 西洋史のテキストを開くと、西洋史とは絶えることのない戦争の歴史で綴られていることが分かる。すなわち百年戦争、30年戦争、7年戦争、ユグノー戦争、バラ戦争、ナポレオン戦争、ロシア革命、第一次大戦、第二次大戦と対立抗争の歴史で一杯である。1世紀の間で平和の時代は5年もなく、戦争が常態で、平和がむしろ異常のような観すらある。その平和の時代も、次の戦争の準備のためでしかない。
 西洋人には日本人の「負けるが勝ち」という教訓はとても理解できない。負けることは死か奴隷になることを意味するからである。また彼らには、われわれ日本人の誰でも分かる「物のあわれ」、ワビ。サビ。シブさという感情も美意識も存在しない。これらは外国語に翻訳できない概念である。
 それもそのはずで、弱肉強食、優勝劣敗の食うか食われるかの生活が常で、人を見たら敵か盗賊と思え、といつも構えて暮らしている民族に、物のあわれだのワビ、サビを楽しむ余裕と心情・感性が生まれるはずがないからである。
 同じく彼らには、日本人の美俗、習俗である義理人情とか、義・恩・情の言葉も概念も存在しない。自分以外に信ずることのできない個人主義、人権主義の社会では、自分がいかに生き延びるかが関心の中心で、他人を思いやる義理人情の「心の文明」は、生まれないのも当然であった。和の文明、情の文明は、日本だけの現象なのである。
 白人の自然征服思想も科学技術の発展も、武器の発達も、覇権欲望も、人間中心思想も必然的に生まれたものと言わざるをえない。
 
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