「白人スタンダード」という
新たなる侵略
清水馨八郎・著 祥伝社 

 冷戦後に姿を現わした新手の「白禍」とは

 地球の表面の環境は、砂漠あり草原あり森林あり、熱帯あり寒帯あり、サバンナ気候、ステップ気候、モンスーン気候ありで、それぞれが全く異った風土で、そこに暮らす民族の歴史、文化、宗教なども様々なのは当然である。各民族の文化・文明は、生まれるべくして生まれたもので、その違いは当然であり、そこに善悪、価値の優劣はない。世界はそれぞれの歴史、文化、宗教が並列し、多元的な文明が共存して成り立っている。
 ところが世界史上では、各地の文明の中から、ときに力の英雄や宗教上の教祖が現われ、自己の構想や思想を最善と考え、これをグローバル・スタンダードとして世界に押しつけようとしたことが、たびたびあった。これは他民族にとっては迷惑で、かつ不幸である。それが宗教上の強制統一であれば「宗教禍」と名づけることができる。
 この観点からいくとアジアでは、漢民族の中華思想による領土拡大欲も周辺民族には大変迷惑なことで、本書の主題である「白禍」からは外れるが、これもまた「中禍」として大いに警戒しなければならない。
 また20世紀の初頭にロシアに発生した、ソ連のマルクス・レーニン主義による世界共産革命の強制も、ソ連のイデオロギーをスタンダードにした世界化の一環で、その後の共産革命の犠牲になった死者は全世界で1億数千万人に及び、人類始まって以来の受難となった。その革命による人的被害は戦争よりも甚大であった。これぞ20世紀最大の人災「赤禍」というべきであろう。
 しかし、なんといっても人類史上、「中禍」や「赤禍」以上に人類に苦痛を与えた災難は、白人による世界植民地支配の「白禍」である。白禍は「中禍」や「赤禍」よりスケールがはるかに大きく全地球に及び、かつ期間も長期にわたっている。その歴史は、これまで見てきたとおりである。
 冷戦が終わってから、最近アングロサクソンは軍事力支配が表立ってできなくなったので、今度は国際基準(グローバル・スタンダード)とか自由化・国際化という名の、新手の文化侵略に戦略を転換してきた。これは一見耳あたりがよいために、その裏にアングロサクソン的サタン性が秘められていることに誰も気がついていない。だが実態は、要するに世界をアングロサクソン的に、アメリカに都合のよい基準に統一し、支配しようとするものである。とくに近来、彼らは貿易自由化とか、ビッグバンやヘッジファンドなどの名による金融・経済のソフトの分野で、世界制覇を狙っていることが明らかになってきた。これもまた文化侵略という名の「白禍」なのである。
 日本では明治以来「国際」がつけば何でもありがたがるが、これは麻薬なのである。前章でも紹介した林秀彦氏は、白人の唱える「国際化」とは、暴力の変形だと決めつけている。最近のグローバル・スタンダードとは、他国の文化の独自性を抹殺する合い言葉だといえそうだ。
 われわれは明治初頭の文明開化によった鹿鳴館スタイルを笑うことができない。現在まで日本の学界、政界、社会は、挙げて西洋かぶれ、西洋コンプレックス、西洋病に冒されていたのである。今こそわれわれは「白禍」という名の文化侵略に乗せられていたことを反省して自尊自栄の日本国を構築し、日本文化を再発見し、誇りをもって欧化に対抗すべきときなのである。
 また最近彼らは、「ニュー・ワールド・オーダー(新世界秩序戦略)」という新型標語を掲げて世界制覇に乗り出している。「インターナショナル」とか「国際化」とかの甘言に、乗せられてはならない。
 
← [BACK]          [NEXT]→
 [TOP]