「白人スタンダード」という
新たなる侵略
清水馨八郎・著 祥伝社 

 ゴルフ、サッカーも、日本人には馴染まない

 西欧文明の「白禍」から目覚めるためには、ネクタイ亡国論だけでなく、日本人がいつの間にか重症に陥っているゴルフ、英語、肉食、洋楽、マルクス主義、資本主義、革命、人権、民主主義など、西洋発の文明カブレをひととおり批判、否定してみる必要があるのである。
 中でも英国の、芝しか生えない荒地から起こったゴルフの普及は、日本の自然豊かな国土の森をはがして荒地に近い芝原に変えてしまっている。森の土の中は、上から下まで何兆何億の生物が生きているのである。芝生にすることは、その大部分の生命を殺してしまうことになるのだ。
 ゴルフについで英国から起こった伝統的スポーツに、サッカーやラグビーがある。今年はワールドカップ世界大会が日韓共催で行なわれて、当分サッカーブームが収まることはない。しかし、これに水をさすことになるが、ここでその起源に触れてみたい。
 一説によると、海賊であるアングロサクソンの祖先が。捕獲した敵の首を甲板上で足蹴にして楽しむ遊技から、サッカーというスポーツが生まれた。またラグビーは、英国のラグビーというパブリックスクールから起こったスポーツであるが、このスポーツは彼らの祖先の海賊、山賊が、敵の首領の首をとり、これを奪い合う昔からの遊技をもとに考えられたものである。われわれからみるときわめて残酷な遊びから生まれたものだが、これが英国支配の植民地諸国のスポーツに普及したものである。
 英国でも中世の記録では、国王がサッカーがあまりに残酷で激しく熱狂するスポーツなどで、何回も禁止令を出している。観客のサポーターまで、どちらかに与して熱狂してしまい、今のフーリガン問題が当時すでにあったと言われている。先祖のバイキングの血が騒ぐのであろう。私の友人は、このスポーツを日本的に翻訳、揶揄して、サッカーを「殺カー」、ラグビーを「拉首」と呼んで起源を明らかにし、熱狂にブレーキをかけたほうがよいとも言っている。
 日本の伝統的スポーツの角力(すもう)や柔道などの、礼に始まり礼に終わる農耕民族のスポーツと対比してみれば、彼らのスポーツには海賊性、狩猟・牧畜民族性がモロに表現されていることが分かる。スペインの闘牛と日本の牛角力でも、同じことが言える。ローマの円形競技場のコロシアムは、戦争で奪った奴隷たちや捕虜をライオンに喰わせて、それを見て楽しむスポーツ場である。まさに「殺しを生む」のがコロシアムであったのだ。
 
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