「白人スタンダード」という
新たなる侵略
清水馨八郎・著 祥伝社 

 パール博士の痛憤の言葉を、どう聞くか

 本章の最後に、日本無罪論の判決を提出したインドのラダビノード・パール博士の「誤られた歴史は書き換えられねばならぬ」という講演の最後の言葉を載せて結論とする。これは博士が昭和27年11月6日、裁判終了後、再度日本を訪問し、広島の原爆記念碑に参拝し、広島高等裁判所で講演した結びの言葉である。
 「私は1928年(昭和3年)から1945年(昭和20年)までの17年間の歴史を2年8カ月かかって調べた。とても普通では求められないような各方面の貴重な資料を集めて研究した。この中には、おそらく日本人の知らなかった問題もある。それを私は判決の中に綴った。この私の歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であるということが分かるはずだ。しかるに日本の多くの知識人は、ほとんどそれを読んでいない。そして自分らの子弟に“日本は犯罪を犯したのだ”“日本は侵略の暴挙をあえてしたのだ”と教えている。
 満州事変から大東亜戦争勃発に至る真実の歴史を、どうか私の判決文を通して充分に研究していただきたい。
 日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈、頽廃に流れてゆくのを、私は見過ごして平然たるわけにはゆかない。
 誤られた彼らの戦時宣伝の欺瞞を払拭せよ。誤られた歴史は書き換えられねばならぬ」。 この博士の真実の歴史の叫びから、50年経った現在でも、日本はいっこうに目覚めていないのである。だから私は、アメリカの「リメンバー・パールハーバー」ならぬ“リメンバー・パール博士の日本無罪論”を叫びつづけているのである。
 また英国の評論家は、大東亜戦争は、ヨーロッパ勢はすべてアジアの植民地を失って古巣に追い返されたので、勝ったのは日本で、欧州勢はすべて負けた戦争であったと結論づけている。
 東大名誉教授の小堀桂一郎氏は、日米戦争の目的達成度という論説で、米国はこの戦争で何ら得る所がないのに、日本のほうが開戦の目的である、アジアの解放と帝国の自存を達成したことで、はるかに目的を果たしているではないかと断言しておられる。
 結局昭和のこの大戦は、日本は負けたようで結局、勝っていたのである。昭和時代とは、民族の長い歴史にとって、暗い悲しい時代でなく、日本民族が最も力一杯活躍した、和が勝った“勝和”時代であったのである。
 
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