タイトルの中の「難民」という言葉で皆さんはどのようなイメージを持ちますか?
辞書「大辞泉」を引きますと――
@ 天災・戦禍などによって、やむをえず住んでいる地を離れた人々。
A 人種、宗教、政治的意見の相違などによる迫害を避け、国外に逃れた人々。
◆日本で「帰宅難民」「買い物難民」などのように、さまざまな事情で困った状況にある人々を表すのに使うのは、乱用とされる。
――とあります。
私がここで使っている「難民」の意味は――
@ 天災(本当は人工地震なのですが)によって住む家を失い、やむをえず住んでいた土地を離れた人々。
A 天災によって日本が深刻な食料不足に陥り、都会では生活することができなくなって、やむを得ず地方へと移動する人々。
――の2つの意味を含んでいます。
@は被災した人々ですから、地震による家屋の倒壊や火災、あるいは津波によって家を奪われた人たちが「難民化」するという意味です。これは容易に想像できると思います。大半の人は避難所に入ることもできず、車の中で寝たり、公園や河川敷などにテントを張ったり、津波で流されなかった家屋に身を寄せて雨風を避けたりしながら救助を待つという形になるでしょう。もちろんどこからも救助は来ませんので、最も悲惨な難民状態ということができます。
Aは今回初めて登場する「難民」のイメージです。地震や津波の被害がなく、家も奪われなかった人たちが難民化するケースがあるのです。私は、この形の難民が最も多くなると考えています。
終戦後、都会では食料が手に入らないために、多くの人が地方まで買い出しに行ったという話はご存じでしょうか。終戦後の様子を撮った写真集を見ますと、列車のデッキや窓から人があふれるほど満員状態で乗っています。国が配給する食料では生きていけないので、地方に買い出しに行く人たちなのです。
しかし、このときは列車が走っていたので人の移動はできたのです。
今回は公共の交通機関は動いていないと思われます。首都直下地震と南海トラフ巨大地震に襲われれば、「電気が奪われる」事態になることが確実だからです。それも長期間になりますから、食料の生産も配送もできなくなります。そもそも巨大地震の被災地に集中している工場という工場が生産をストップしてしまうわけですから、被災していない人たちも含めて、日本全体が深刻な食料不足に陥るのは避けられないのです。しかも、終戦直後と比べると人口が倍増していますので、事態はもっと深刻ではないかと思います。
そのため都会に住んでいる人たちは食料を求めて地方へ地方へ地方へと大移動をすることになるでしょう。まさに「難民化」です。国内にいながら、住んでいた家を置き去りにして移動するのです。
首都直下地震と南海トラフ巨大地震では合計5,900万人の人が被災すると言われていますから、まさに半数の国民が食を求めて移動することになるでしょう。もちろん、それだけの人のお腹を満たす食料を提供できるところは日本全国どこにもありません。日本の食料自給率はとうの昔に40%を切っています。均等に配分しても半分以上の人は食料を手にすることはできない計算です。
しかも、世界は日本沈没と同時に大恐慌に見舞われていますから、日本に食料を恵んでくれる国はありません。第一、太平洋ベルト地帯にある港湾という港湾が津波で壊滅状態になっているわけですから、大型貨物船は着岸できないのです。
たとえ着岸できたとしても、電気がなければ荷物を下ろすこともできません。
たとえ荷物を下ろすことができたとしても、それを運ぶ道路という道路がガレキで埋まっていて、車は走れないのです。車が走れて、穀物などの食料が工場に運ばれても工場は電気や都市ガスがなければ動きません。まさに八方ふさがりの状態です。
どうでしょうか。私のこの予測にどこか無理な部分がありますか?
もちろん、何度も言っておりますように、このような事態になるには前提条件があります。
その前提条件は「もし首都直下地震と南海トラフ巨大地震が起これば」ということです。
私はこの2つの地震が今年起こると予測し、それを前提に話を進めています。
もし私の予測が外れても、いつか必ずこの2つの地震が起こることは、政府が専門家の研究に基づいてはっきり宣言しているのです。
決して私が勝手に与太話をしてるわけではありません。
政府の被害予測との決定的な違いは、「
今回の地震では必ず電気が奪われる」という点でしょうか。政府の予測でも「45の起こしてはならない最悪の事態」の一つとして「
電力ストップが、生産活動に深刻な被害をもたらす」ということを述べています。
「
被災地で起こっていることがわからない」で紹介した通りです。
政府は「深刻な被害をもたらす」と抽象的に表現していますが、要するに「食料ほか生活必需品の生産ができなくなる」ということです。それが2カ月続くかもしれないとしながら、なんとものんきな表現です。2カ月すればガレキで埋まった道路も開通し、地震で破壊された橋や道路の修復も済んで、経済活動が正常に戻るということでしょうか。楽観的というより、本当の怖い部分の記述を避けているとしか思えません。
また、停電の影響を受けるのは生産活動だけではないでしょう。通信、輸送、インターネットなど、社会を動かしているメカニズムがすべて止まってしまうのです。このあたりの踏み込んだ検討がされていないとすれば、国として巨大地震の対策はできていないと断言してよいでしょう。国は既に国としての責任(国民を守る責任)を放棄しているとしか思えません。
国と国民の関係について
さて、国内でおびただしい数の難民が発生し、食料を求めて大移動をする事態になっても、国が何も手を打てないとすれば、まさに日本国民は「国を奪われた」状態になるのです。
そもそも国と国民の関係はどうなっているでしょうか。それを簡単におさらいしておきましょう。
国は国民から税金という形でお金を集め、そのお金を使って国を守り、従って国民の生活を守る働きをする組織です。国民がだれも税金を払わなければ、国はそのような働きをすることができなくなります。国家公務員という名の官僚組織を考えればわかるでしょう。どこからも給与がもらえないのに、手弁当で働く人はいません。国家公務員の給与は税金の中から支払われるのです。
いま首都直下地震と南海トラフ巨大地震によって国が膨大な、それこそ藤井聡氏の言葉を借りれば「天文学的な負債」を抱えれば、国民からいくら税金を徴収すればまかなうことができるでしょうか。消費税100%でも無理でしょう。
しかも、その税金を払う国民の半数が巨大地震で被災し、ほとんど無一文状態になっているのです。税金を払うどころか、生活を維持するために国からたくさんの補助をしてほしいと願う人が大半ということになるのです。巨大地震は、国民の財産はもちろん国の資産も食いちぎり、奪い去ってしまいます。
日本は外国にお金を貸し付けているからそれを返してもらえばどうにかなるのではないか、と思う人がいるかもしれません。確かに、米国債を買うという形でアメリカに貸し付けているお金だけでも3百兆円〜4百兆円になると言われています。
それは1ドル=100円程度の為替レートであれば、それなりに価値ある金額と言えるでしょう。しかし、巨大地震で被災した国の通貨はあっという間に暴落してしまうのです。「円」の価値は無価値になってしまいます。
個人に置き換えて考えてみますと、友達に1,000万円貸していたのに、その後のハイパーインフレでお金の価値が下がり、返してもらったお金ではあめ玉1個も買うことができなかった、ということと同じです。
ですから、「天文学的な国の負債」を支払うことは永遠に不可能となります。これが「国家破産」ということです。そして、国家が破産すれば、国として機能することはできません。国民の生活と生命を守ることはできなくなるのです。
国民は、どこか他の国にすがって生きるしかなくなります。イスラエルという国家を設立するまでのユダヤの人々がそうでした。さまざまな国で差別を受けながら、最後はナチスドイツで迫害を受け、多くの人が犠牲となったことはよく知られています。
このように、国がないと国民の安全は保証されないのです。
それは治安というだけでなく、国民としての権利や財産などすべてを保証している後ろ盾がないということを意味します。
ですから、国が奪われれば、国民の財産も全て奪われるのです。
津波で家をはじめとする財産が流されれば、銀行の通帳はもちろん、現金や貴金属を保管していた金庫も流されてしまいます。しかし、銀行に預けているお金はちゃんと守られるのが普通です。その後の手続きで下ろして使うことができます。
しかし、国が破産すると、お金の価値そのものがなくなってしまうのです。
そもそも土地や現金、あるいは銀行の通帳に記載された預金などが、価値あるものとして通用するのは、それを「国」が保証しているからです。もし、「国」を失えば、その国の通貨は紙くずになり、銀行の預金も単にコンピューターに保存された数字になってしまうのです。
しかも首都直下地震や南海トラフ巨大地震によって日本の首都が壊滅してしまうと、そのコンピューターの中のデータも消滅してしまうでしょう。どこかにパックアップをとっているはずだ、と思いますか。「ノー」です。日銀だけはデータのバックアップをとっていると言われていますが、日銀は中央銀行という名の民間銀行なのです。国が株式の半分を持っていても、国の財政を支えてくれるわけではありません。そもそも破産した国家の中央銀行が発行している通貨「円」が無価値になってしまえば、元も子もないのです。
日銀は日本の国債をどんどん引き受けながら、最後は日本もろとも「沈没」する運命です。
これが世界支配層の狙いなのです。日本の国家としての「富」が――たとえばアメリカの国債を無理矢理買わされて、アメリカから見た「借用証書」と言えるデータも――全て消えてしまいます。
これこそ「国家機能の東京一極集中」の弊害と言えるものです。日本の「富」も、歴史も、文化も、デジタル化された情報はすべて首都東京とともに炎上して消えてしまうのです。
当然、個人の財産を保証する各種データ類、例えば資産台帳なども消滅しますから、所有していたはずの土地や財産があっという間に持ち主不明となるのです。家にある通帳や台帳が焼け残っても何の意味もありません。土地や財産を保証する体制としての「国」がなくなるのですから。