自分の品格
渡部昇一・著 三笠書房 

 黙って“辛抱”できる人、できない人

 確かに、自分に合わない仕事にやむを得ず就いてしまって、そこで無理して長く頑張ってもしかたがないということで職を変わる人もいるだろう。しかし、多くの場合は、単に辛抱ができないというだけなのではないだろうか。もしそうなら、いくら転職してみたところで、仕事は身につかず、結局は無為な人生を送ってしまうことにもなりかねない。
 ところで、就職する、仕事に就くというのは、結婚と似ているところがある。
 たとえば、最初は非常に魅力的だと思って結婚しても、一緒に生活してみたらどうも相性がよくないようだということが起こってくる。このときにどうするか。しかたがないと諦めて、その人と一生を共にするか、あるいはあっさり離婚して出直しを図るか、二つに一つしか手がない。そして最近の傾向や感覚からすれば、我慢するよりも別れて出直すほうがいいようなのだ。事実、離婚率は急激に高まっているし、バツイチなどという言葉さえ生まれてしまっている。
 しかし、離婚を簡単にするようになると別れ癖がつく。これはある意味では堪え性がなくなることになるので、よくない結果をまねくことが多い。私の知人にも、なんと5回も結婚した人がいるが、こうなるともう、いちいち式など挙げなくてもよさそうに思えるし、だいいち結婚というものが意味をなさなくなってしまうだろう。離婚癖がついて、落ち着いた結婚生活などといったものを味わえなくなってしまうのだ。
 ところがこれとは逆に、相性の悪い相手とわかっても、我慢して一生を添い遂げる人もいる。私の母もそうであったが、多少相手に気にくわないところがあっても我慢し、子供を全員ちゃんと育てあげて、一生家庭を守り通した。そうすると、いつの間にかそのこと自体に価値が生じてきて、周囲の人々から尊敬され、高い評価を受けたりするのである。
 このように見てくると、「相性の悪い相手となにも無理して生活することはない。さっさと離婚して出直すほうがいい」という考え方は、一見合理的でよさそうに思えるけれども、必ずしもそうではないことがわかると思う。離婚してうまくいっている人がいるからといって、皆が皆そうだとはかぎらないのだ。
 要するに、仕事というのも結婚と同じで、最後の結果を見てみないとわからない。だから、周囲の人間が華々しく転職していくからといって、それに左右されることはないのだ。職のことばかり考えてどうにもならなくなっている人間もいるのである。辛抱のしがいがあったかどうかは、他人や周囲が決めるのではなく、自分が決めることなのである。
 
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