自分の品格
渡部昇一・著 三笠書房 

 今の仕事を“たまらなく面白くしている人”はどこが違うか

 ところで、カール・ヒルティは、仕事と趣味の違いについて、一所懸命にやった途端に面白くなるのが仕事で、やっているうちに飽きてくるのが趣味なのだと言っているが、面白いかどうかを物差しにして仕事を選ぶというのならば、この指摘は参考になると思う。
 たとえば、私は一時期、将棋が非常に好きでよくやっていた。けれども、いくら好きだと言っても、3日も4日も続けてやっているとさすがに飽きてしまう。つまり、私にとって将棋は趣味以外の何物でもなかったということなのだ。
 ところがこれに対して英語のほうはどうかというと、2カ月でも3カ月でも、あるいは2年でも3年でも平気でやってこれた。そしてやっているうちに、どんどん面白くなっていって、さらに勉強しようという意欲が湧いてきた。英語を勉強しない人には絶対にわからないであろう独特の楽しみ、言うに言われぬ喜びのようなものを味わうようになっていたからである。これこそがヒルティの言う仕事なのである。
 ある事に一所懸命になって自分を沈潜させてみたり、あるいは身も心もくたくたになるくらいに全力投球してみた途端に、面白さが出てくるもの、それが仕事である。本当の仕事と言えるようなものを持ったことのない人は、このような面白さ、何とも表現しかねるような喜びは味わったことがないはずだ。彼らは何かをやってはすぐに飽きて面白くなくなり、また次のことをやり、また飽きて次へということを繰り返す――これでは仕事をしているとは言えない、とヒルティは言っているのである。
 たとえば、保険の営業マンなどを傍から見ていると、見知らぬ人にのべつまくなしにペコペコ頭を下げて商品を売り歩くだけで、何か楽しいのだろうと思ってしまう人は多いだろう。実際しばらくやってみて、面白いどころか苦行だと思って辞めてしまう人は大勢いる。彼らにとって保険の営業は「仕事」になり得なかったのである。
 しかし、年収何億と稼ぐような本物の品格ある営業マンになってくるとちょっと違う。彼らや彼女らは、自社の保険の商品を人に勧めるのが、楽しくて楽しくてしょうがないという境地にいる。他の誰が行ってもまったく受けつけなかった頑固な顧客が、その人が行ってちょっと話すだけで苦もなく商品を買ってくれたりする。そこに無限の喜び、無上の楽しさを感じていたりするのである。それは傍から見ているだけでは絶対にわからない、またちょっとやってすぐに辞めてしまうような人にもまったく理解できない面白さなのだ
 なにも保険の営業に限ったことではない。すべての「仕事」について言えることだ。編集者なら編集者で、無名で売れない著者の原稿でも自分の手にかかるとなぜか売れる本になってしまうとか、どこの編集者も知らなかったような著者を発見してきたとか、あるいはまた、気難しくてなかなか近寄れない作家の先生をうまく口説き落として書かせたとか、いろいろな楽しみがあるだろう。
 ここで忘れてならないことは、これらのことを楽しみとして感じることができるのは、やはり精一杯仕事をやっているからこそだという点である。嫌な目に遭ったと言ってはすぐに辞めてしまうようでは、けっしてこれら無上の楽しみは味わえはしない。辞めてしまうのは、その人が趣味としてしかそのことにかかわっていないということなのである。
 昔から「石の上にも3年」と言うけれども、それくらい辛抱しなければ何事も報われはしない。それが最近では、3カ月も我慢できない人がいる。ひどいのになると3日で会社を辞めたと言って自慢する若者もいるようだが、これなど仕事が面白いとか面白くないとかと言える以前の問題だ。自分の愚かさを標榜するだけだということにまず気づくべきなのだ。
 
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