自分の品格
渡部昇一・著 三笠書房 

 “弱点”を知ってはじめてわかる「本物の値打ち」

 若い人はよく、自由だとか平等だとかという言葉を使いたがる。
 とくに戦後の民主主義教育と言われているものは、平等、平等と金科玉条のごとくに振りかざしてきたから、その影響もあるのだろう。自由だとか平等だとかと言えば、すべてが解決してしまうような誤った考え方さえしてしまっているのが見受けられる。とくに戦後50年たって、おかしな平等思想がまかり通っているように思えてしかたがない。
 平等という概念が近代の歴史の中で一番はっきり現われてきたのは、1776年のアメリカの独立宣言のときであろう。ここではっきりと「すべての人間は平等につくられている」と宣言されたのである。この影響を受けて1789年、フランス革命が「自由、平等、博愛」を高く掲げたまではよかったのだけれど、1917年のロシア革命では行きすぎて、財産の平等までやってしまった、このような流れではないかと思う。
 封建時代には厳格な身分制度があった。この弊害があちこちに出てきたため、身分制のアンチテーゼとして平等の概念は大きな意味を持ち、力ともなった。
 ところが、人類で最初に平等を唱えた当のアメリカにおいてすら、実質的にはひどい保留条項がついていたのである。アメリカ独立宣言は、All men are created equal(すべての人間は平等につくられている)と謳っているけれども、その独立宣言を起草した人たちは家へ帰ればしっかりと黒人の奴隷を使っていた。よって本当ならばAll men「すべての人間」というのは「すべての白人は」と置き換えられなければならなかったということになる。
 フランス革命においても実は同じような状況だった。アメリカが封建的な身分制度のない平等な社会になったという刺激を受けて、フランスも「自由、平等、博愛」を唱えて貴族制度を倒した。これでフランスが本当に平等になったかというと、そうでもない。アフリカのマダガスカル島はフランスの植民地だったのだが、ここの独立運動をフランスは19世紀後半からずっと、第二次大戦が終わるまで武力で鎮圧している。他国に対しては、平等を唱えた国と思えない行為を続けていたのである。ヴェトナムの支配も、一言で言えば非人道的残酷支配であった。
 このように、平等という概念には、常に保留条項がついていた。「平等」はこの保留条項をともないつつ近代の特徴の一つとなっていったということだ。このことをまず忘れてはいけない。
 いかなる主張にも必ず真理の粒はある。平等も不平等に対するアンチテーゼとしての価値は確かにあった。けれども、それで平等のすべてがいいかと言えばそうではない。ロシア革命で私有財産までなくして平等にしようとしたこと、平等の名の下に多くの地主たちが殺されたことを見れば、それは一目瞭然である。殺された地主の数たるや、ヒトラーがユダヤ人を虐殺したよりもはるかに多いのである。そしてノーメンクラツーラというソ連独特の特権階級が生じてしまった。
 要するに、一つの主張には、いいところもあれば悪いところもあると考える必要があるということだ。一つの思想信条にのめり込むのは、だからこそ危険なのである。
 
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