ヤオイズム
矢追純一著 三五館 

 生き抜くための算段

 じつは、すべての人は違う現実、違う世界に生きている。もっとわかりやすくいえば、みんな自分の妄想の中に生きていて、それに気がついていないだけなのだ。したがって、これから展開するのはすべて私の世界、私の妄想であることをお断わりしておく。
 かつては中国人の上に立っていた日本人は、もはや追われる身だった。一刻も早く中国から出て行かなければならない。しかし、すべてが崩壊した満州から、一文無しになりな私たちがどうやって日本へ戻ったらいいのかわかるわけはなかった。明日の命さえ、どうなるかわからないのだ。
 その当てのない脱出劇は、私か10歳から11歳になるまで続いた。その間、私たちはアパートを転々としながら、いろいろな商売をして中国で生計を立てた。
 先に記したようにそれがつらいものだったと私は少しも思っていない。むしろ、逆である。私にとってはすべてが新鮮で、生命の躍動に満ちた瞬間の連続だった。
 その驚くべき世界では、私の母は間違いなくヒーローだった。スーパーウーマンだった。こんなにも恐ろしくて、美しくて賢く、しかもタフな女性を私は一度も見たことがない。
 日本が戦争に負けて、多くの人たちが不安と恐怖の中で呆然としているときに、母は即座に変身して、私たちが生き抜くための算段を瞬時に行なった。かつては奥様だった人がすべてのプライドをかなぐり捨てて、お金を得るために考えられるすべてのことを行なった。
 母は売るものには困らなかった。プライドを捨て切れない人たちが同じ日本人である母に「これを売ってください」と頼みに来るからだ。彼らは自分の家からせっかく貴重品を持ち出しても、それをお金に換えることができなかったのだ。
 身を売るしかないと諦めてしまう日本女性がたくさんいた中で、母にはいくらでも余裕があった。ある意味、水を得た魚のように生き生きとしていた。
 もちろん、厳しさも格別だ。こうも自分の子どもに厳しくなることができるのか。そう人に思わせるほど過酷なしつけだった。母は私と同じように妹たちにも、ものを売らせてお金を稼がせた。6歳と4歳の妹たちはわけもわからず、母に言われるままに通りでものを売っていた。
 母は売れるものがあれば、私たちになんでも売らせた。夜、私たちは母親がどこかで手に入れたタバコの葉っぱを小さな道具で紙に巻き、それを箱に詰めた。その箱を4歳の妹が首から下げて、タバコを1本ずつ売っていた。
 しかし、これほど危険なこともあるまい。ある日、4歳の妹が物売りをしているときに、中国人に連れ去られてしまったことがある。いくらがんばっても幼児は幼児である。ちょっとしたすきを見せた瞬間に、背中から抱えられて連れ去られてしまった。私たちはあとを追いかけたが、素早い犯人を子どもの足で追うには限界があった。
 中国では子どもが売り買いされていた。そのままであれば、妹はどこかに売られていただろう。あるいは、殺されていたかもしれない。
 信じがたい話だが、その行方の知れない妹をなんと母親は捜し出したのだ。しかも、悪漢たちの巣窟へ自ら乗り込んで行って、監禁されていた妹を救い出してきたのである。おそらく金で話をつけたに違いない。監禁されていた妹は体中ノミだらけになりながらも、無事に帰ってきた。その救出劇は、まるで暗黒街の顔役のような手際の良さたった。
 
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