ヤオイズム
矢追純一著 三五館 

 脳が破裂した瞬間の“感動”

 これから話すことはショッキングなことかもしれないが、判断を加えないで――つまり正しいとか正しくないとか、良いとか良くないとか、あれこれ解釈しないで、そのまま受け止めていただきたい。そうしなければ、あなたの脳がパンクしてしまうかもしれない。
「バーン!」
 それは、まるで何かの衝撃でスイカが割れて、あたりに飛び散ったような光景だった。人が撃たれて、目の前で脳みそが破裂したのだ。
「ウワー、すげー、本当にすげー!」
 その瞬間を目撃した私は感動していた。それまで押し入れの中で隠れて暮らしていた私にとって、ある意味でそれは生まれて初めて隅田川の花火大会を見たときのような感動といっしょだった。
 私はたまたまGPUがソ連兵を撃ち殺すところを目の前で見てしまったのだ。じつは、無法地帯と化した当時の満州で唯一“正義の味方”がいた。それがソ連のGPUである。彼らはソ連の秘密警察で、軍隊内で悪事を働くソ連兵を取り締まる、いわば旧日本軍の憲兵のような人たちだった。しかし、そのやり方は荒っぽく、逮捕とか軍法会議とか、手間のかかることはいっさいしない。違反者を見つけるとその場で射殺することを許されていた。
 その事件は、ソ連兵たちが日本人の家を襲ったあと、トラックで逃げるときに起こった。私は友達といっしょに広い道路の縁石に腰かけて見物していた。
 GPUのサイドカーがサイレンを鳴らしてやってきたのに慌てた強盗たちのトラックが後ろから盗品がどんどん落ちるのもかまわず猛スピードで逃げ出した。あとからサイドカーに乗ったGPUの将校がピストルを連射しながら追跡していく。彼らはあっというまに私たちの視界から消えていった。それはまるでギャング映画をナマで見ているようにエキサイティングな光景だった。
「なんだ。行っちゃった。オモシロかったのに……」などと言っているうちに町内を一周して、再び私たちの目の前の道路に戻ってきた。かと思うと、サイドカーの憲兵将校の弾がタイヤに当たってハンドルを取られたのだろう、私たちの目の前でトラックが横転した。若いソ連兵が血だらけでトラックからはい出してきた。
 すると、サイドカーから降りてきたGPUの将校がツカツカと歩いていって、何も言わずに銃でその男の頭を撃ち抜いた。それが私から10〜20メートル先で起きたのだ。
「ウワー! すげー、本当にすげー!」
 ソ連兵の頭がザクロのように割れ、血と脳漿(のうしょう)が飛び出すのが見えた。
 「おい! 今の見たか?」
 隣に座っていた友達を見ると、なぜか仰向けに寝ている。
「どうした?」
 なぜこんなにスゴイ瞬間を見ていないんだ……と残念かって揺り動かそうとしたが、彼はピクリともしない。流れ弾に当たって死んでいたのだ。
 私は不思議な気持ちに襲われた。たった今まで隣で話していた人間が、もう死んでいる。
 この友達と私の距離は30センチも違わない。なのに、彼は死んで、私か残った。
 このとき、私は悟った。「人はこのように、偶然の成り行きで死ぬんだな」ということ。同時に「人はあっけなく死ぬ」ということを。
 そして、これは生きているということに感動した瞬間でもあった。
 なんて残酷な! そんな残虐な光景にどうして心が奪われるのか。おまえは人でなしなのか。そう言われるかもしれない。
 しかし当時、私たちが暮らしていたのは、どんな法律も通用しない、自分の力でしか生き残ることができない、残虐さでは地獄以上の世界だった。平和な日常が毎日繰り返される現在の日本ではない。その世界では、どんな悪夢も現実となることをあなたは理解できるだろうか。
 
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