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1章 死後にも生命と生活がある 私たち人間は死後も生き続ける――肉体が無くなっても、個体性と自我意識と性格と記憶とを携えて、次の世界でも生活を続けるというのです。 そのことは、もはや一点の疑問の余地もないところまで立証されております。オリバー・ロッジ、ウィリアム・クルックス、アルフレッド・ウォーレスといった世界の科学界を代表するといっても過言ではない大先輩によって、繰り返し確認されているのです。 本書はその証拠を改めて披露することが目的ではなく、その事実のもつ意味を動物との関わりにおいて論じることなので、ここでは詳しくは述べませんが、概略だけでも知っておいていただくために簡略に述べておきたいと思います。 クルックス博士は化学と物理学における数々の貢献によって“サー”の称号を受けた世界的な科学者ですが、当時(一九世紀後半)の心霊現象騒ぎを耳にして、それが社会問題にまで発展して無視できなくなったので、当時の人気霊媒、すなわちD・D・ホーム、ケート・フォックス、フローレンス・クックの3人を4年間にわたって、化学や物理学と同じ科学的手段を駆使して実験し、その結果を季刊の学界誌に連載しました。 その内容は心霊現象は間違いなく実在することを認めたもので、とくにクック嬢による実験会にはケーティ・キングと名のる女性の霊が物質化して出現し、その姿が44枚もの写真に収められています。 それは当然のことながら学界に大反響を巻き起こし、賛否両論が渦巻きましたが、博士自身は 「十分な科学的手段と、十分すぎるほどの用心をした上で確かめたもので、誰が何と言おうと、私の信念に変わりはありません。人間が死後も生き続けることは、もはや“信仰”ではなく“事実”です。それは十分に証明されました」 と述べて、感情的な反論にはいっさい取り合いませんでした。その研究成果は『スピリチュアリズムの現象の研究』と題されて単行本となっています。 オリバー・ロッジも“サー”の称号をもつ世界的物理学者で、バーミンガム大学の総長も歴任した人ですが、友人の誘いで出席した交霊会に、第一次大戦で戦死した長男レーモンドが“声”で出現し、まぎれもない証拠をいくつも提供したことで死後の個性の存続を確信し、『レーモンド』という大部の著書を出版しています。その後も数多くの著書を書いていますが、その基本にあるのは 「人間はもともとが霊的存在であり、それが今この地上で物的身体をまとって生活しているのであって、その身体が滅んだあとも個性が存続するのは当たり前である」 というものです。 次にアルフレッド・ウォーレスは、ダーウィンと並んで19世紀を代表する博物学者ですが、ちょっとした霊的体験がきっかけとなって心理現象に関心をもつようになり、博物学と並行して本格的に研究し、その真実性を確信しました。が、気の毒だったのは、博物学の世界ではダーウィンも脅威を覚えるほどの業績を公表しはじめていましたが、まだ十分な“権威”を持つに至っていなかったからでしょうか、若すぎたからでしょうか、それとも階級制度が支配していた英国だったからでしょうか、その研究成果を学術誌に積極的に公表していったことが学者としての威信を失墜させる結果となってしまいました。 が、生来の無欲恬淡の性格はそうした逆境を不幸として受け取らず、ウォーレスはその後も地道な研究を続けて。その成果を『奇跡と近代スピリチュアリズム』と題して出版しています。 実は私にも第一次大戦で戦死した弟がいて、物理霊媒として有名なヘレン・ダンカン女史の交霊会に全身を物質化させて出現して私と会話を交わしています。 物質化するというのは、霊がその身体(死後にも肉体とは別の身体がある)に合わせてエクトプラズムという白い水蒸気のような物質をまとって出てくる現象をいいます。エクトプラズムは主として霊媒から抽出されるもので、霊媒だけでは十分でない時は出席者からも少量ずつ抽出されます。 身体を見せるといっても、頭のてっぺんから足の先まで、生前そっくりの姿を見せる場合と、顔だけを見せたり、指先だけを物質化させて指紋を取らせたりしたこともあります。 弟は全身を物質化させて出現し、「シルビア!」と叫んで私に近づき、手を取り合いました。決して冷ややかな感触ではなく、温かく生身の手と変わりませんでした。 しかし、もしもそのことだけで終わっていたら、よく似た人間を雇って演出したのではないのかとか、目の錯覚だったのではないかといった疑念も生まれかねませんが、そうではないことを立証する事実も明らかとなっているのです。 それは、弟の“戦死”にまつわる謎が15年の歳月の後に、その日の本人の証言で見事に解決したことです。(第一次大戦は1914年に始まって1918年に終結) 私の両親は軍当局から「行方不明。たぶん戦死したものと推察される」との公報を受けていました。そして、推定の死亡日まで書き添えてあったのです。 ところが、その推定死亡日から3、4日後の日付で、友人の一人が弟から一通の手紙を受け取っていることが判明したのです。ただし、その手紙には住所が記してなくフランスの戦闘地域の小さな町から投函されているとのことでした。内容は、負傷して入院しているが両親には知られたくない、との主旨のことが述べられていました。 ともかくも生きていることが分かって新たな喜びを噛みしめたものの、その後ぱったりと音信が途絶えたことで、またもや不安が募ってきました。両親はたまらず軍当局に手紙でその後の消息をたずねました。 が、そのことがかえって事態を混乱させる結果となりました。友人に宛てた病院からの手紙を調べた将校から、そういう町にそういう病院は存在しないということ、そして、その町へは軍を派遣したことはない、という返事が返ってきたからです。 かくしてミステリーが出来あがりました。詰まるところ、もう死亡したという結論を下さざるを得ませんでした。が、どういう状況の中で死亡したのか、皆目見当がつきません。 しかし、そのミステリーは交霊会であっさりと解けました。本人が出現して事の次第の真相を語ってくれたのです。そのいきさつはこうでした。 「行方不明。たぶん戦死したものと推察される」との公報が出されたその日、弟は重傷を負って、そのままドイツ兵の捕虜となったというのです。そのことで両親を動転させてはいけないと思った弟は、親友へ宛てた手紙を認(したた)めて、それを、脱走を計画している同僚に託しました。 その同僚は脱走に成功して、フランスのある町にたどり着き、そこでその手紙を投函したのでした。「そういう町にそういう病院は存在しない」こと、「その町へは軍を派遣したことはない」という軍当局の言い分は、その通りだったのです。が、脱走兵に手紙を託すなどということは想像を超えたことだったので、ミステリーが生じたわけです。 弟はさらに、同僚が脱走に成功したあと間もなく、戦傷がもとで他界したと述べました。右の経過の説明が明快で筋が通っているのみならず、自分の死亡に関して関係者が理解に苦しんでいることも知っていたことがこれで分かります。 念のために弟は、自分の身元の証拠として、紙とエンピツを要求してそれに短い文章を書いてみせました。それを、前線から母親宛に届いていた手紙と照合してみたところ、締めくくりの言葉や署名なども含めて、すべてが同一人によるものであることは間違いありませんでした。 霊媒のヘレン・ダンカン女史は弟の生前の筆跡を見たこともないし、交霊会の出席に際して私は、弟からの手紙は一通も携えていませんでした。 「ばかばかしい! そんな話があってたまるか! 私は信じない」 そうおっしゃる方がいるでしょう。それはその人のご自由です。が、事実、そういうことがあったのです。 実は“死”は肉体から生命が脱け出て別の次元の世界へ移行する現象にすぎません。その事実は、死んだはずの人間が生前と同じ個性を携えて交霊会に出現してくれることによって、繰り返し証明されております。その数は、数え切れないほどです。 世界的な物理学者で哲学者でもあったオリバー・ロッジ卿はこんな仮説を述べております。 死者は、今この時点でわれわれと同じ場所、われわれの身のまわりに存在しているというのが私の説である。生命は実は物質の中に存在しているのではなくて、宇宙に瀰漫(びまん)するエーテルの中に存在している。だからこそ、あの世とこの世との内的交信が可能なのである。 われわれ人間というのも本来は霊的存在で、今ほんの一時期を物質をまとって生活していることを忘れてはならない。各自が個別性をもち、永遠の個性を獲得するのは、多分、この物的身体による制約と隔離性によるのではなかろうか。 その人間も、身体的に見るかぎりは“動物”なのです。先祖をたどると、同じなのです。たどった進化の道は異なっても、同じ“進化の木”に属しているのです。その同じ木の一本の枝である人間が死後も存続するのに、もう一本の枝である動物が存続しないということが有り得るでしょうか。 が、人類には、成長の過程で個的意識というものが芽生える時期が来ます。その時から“自我”というものを自覚するようになり、その個的意識の芽生えとともに、善悪の観念と、喜怒哀楽といった、もろもろの精神的属性が発達してきます。人間が動物界において最高位を占めているといわれるのは、その点においてです。 が、動物はそうしたものとまったく無縁かというと、決してそうではありません。人間との親密な接触によって、人間的性質、意識、個性などを、ある程度まで発揮する動物がいます。人間から“移入”されたといった方がいいかも知れません。人間と変わらない愛、同情心、信頼感、忠誠心などをもったペットをご存知と思います。 かなりの知力を発揮する犬がいます。理知的な判断を下すものもいます。不快感や不信感だけでなく、うれしさやよろこびを表現する動物もいます。 本書は、そうした動物の存在が示唆するものをテーマとして、人間と動物との霊的なつながり、動物の死後存続、死後における人間界との関係等について、高級霊界通信もまじえて、これまでに知られていることを紹介しようと思っております。 |
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