|
天然痘を爆発流行させたジェンナーの苦悩
●“ワクチンの父”つくられた虚像 ワクチンといえば、エドワード・ジェンナー(1749〜1823)の名をだれもが思い浮かべる。
田舎の開業医だったジェンナーは、「牛痘を天然痘の予防に使えないか?」と考えた。
「……使用人の子である8歳の少年に牛痘を接種した。少年は若干の発熱と不快感を訴えたが、深刻な症状はなかった。6週間後、少年に天然痘を接種したが、天然痘にはかからなかった。1798年、これを発表し、その後、種痘法はヨーロッパ中に広まった」(ウィキペディア、要約)
1802年、英国議会はその栄誉を称え、巨額の報償金を授けている。
その名は“ワクチンの父”として語り継がれている。まさに、人類を救った救世主なのだ。
ここまでが、我々が学校で習った偉人伝である。
しかし、それもまた“やつら”がねつ造したものだったのだ。
“かれら”は、よくこの“洗脳”の手口をつかう。たとえば、“医学の父”がマッドドクターのウィルヒョウ、“栄養学の父”がペテン学者フォイト……といったぐあいた。
●「過ちを犯した」ジェンナーの悔恨 ところが、すでに19世紀英国の医師コンプトン・バーネットは、「天然痘ワクチンは、天然痘の死亡率を高める」と警告している。
そして、天然痘ワクチンによる病気が想像以上に広範囲に及ぶことを、臨床を通して証明した。彼は、ワクチンが原因で引き起こされる病気を「ワクチノーシス(ワクチン病)」と命名しているほどだ。
偉人ジェンナーは、その輝かしい業績のみが語り伝えられてきた。
しかし、晩年の彼は、人知れず苦悩していた。
みすがら発明した牛痘接種法について、懐疑的になっている彼の告白が残されている。
「……やはり、私は恐ろしいまちがいを犯してしまったのではないか。そして、ものすごい(危険な)ものをつくってしまったのではないか……。私には、それがわからない」
偉人の苦悩と自問は、正しかった。
はたしてジェンナーの予防接種で、ヨーロッパの天然痘は撲滅されたのだろうか?
じっさいは、まったく真逆だった。ジェンナーの後悔は当たっていた。
●種痘で天然痘は爆発拡大 「……ジェンナーの種痘法は、英国をはじめ欧州各国で熱狂的に受け入れられた。欧州すべての幼児が牛痘の接種を受けるようになった」(拙著『ワクチンの罠』イースト・プレス)
英国などは、国策として国民全員の接種を厳命した。
拒否すると刑務所に投獄。それほど厳しいものであった。
なら、このジェンナー牛痘接種は、天然痘撲滅にめざましい効果があった……かと思いきや、意に反して、1800年代後半、欧州では天然痘は終息するどころか爆発的に流行、拡大したのだ。
「……当時の天然痘の猛威たるやすさまじい。もっとも被害が大きかった1870年から1871年にかけては、ドイツ国内だけで、100万人以上が罹患、わずか1年で12万人が死亡した。そして、おどろくべきことに、そのうち96%が種痘を受けていた。種痘を受けなかった人は、わずか4%。このデータから、種痘は天然痘を防ぐどころか、爆発的流行の原因になっていたことがわかる」(前著)
当時のドイツ宰相ビスマルクは、各州政府に次の通達を行なっている。
「……おびただしい天然痘患者は、種痘が原因である。『天然痘を予防する』という牛痘接種は完全な誤りだ」
英国も同じ悲劇に襲われた。種痘が全土に広まったとたん天然痘の大流行が始まった。
たちまち2万人近くが死亡し、流行は毎年拡大、ついに1872年には、死者は4万4,480人にたっした。
|
|