実録・幽顕問答より
古武士霊は語る

近藤千雄・著 潮文社


 因縁の日――七月四日

 天保十年といえば西暦一八四〇年に当たります。米国ではそれから八年後に有名な“ハイズビル事件”(注@)が起きて世界の学識者の関心を集め、のちにそれが“スピリチュアリズム”という霊的人生思想を生むに至ったことはご存知の方も多いことと思います。
 その天保十年の七月四日に筑前の国、今の福岡県のある一軒の家の若主人が急に発熱し、全身の震えが止まらなくなりました。当家は庄家(関東では名主といい、代官の命令で年貢の取り立てや農業技術の指導に当たった)という立派な家柄でありながら、ここ数百年にわたって不吉な話のつきまとう家で、とくに七月四日に急死する者や急病にかかる者が多く。また屋敷内で怪け物が出没するとのうわさが絶えませんでした。
 実は今の屋敷は新しく建てたもので、元の屋敷は取り壊してその跡に観音堂を建立し、それを“普門庵”と名づけて御霊鎮めの供養の場としていました。若主人の市次郎もその普門庵へ行った時に病みついたのです。その普門庵は今も残っていて、私も入ってみましたが、三、四十体はあろうかと思われる大小さまざまな観音像がきれいに祀られておりました。
 あとですべてが明らかとなることですが、古くから“鎮魂”の修法がいろいろあっても、その考えの根本には霊を観念的に捉えているフシがあります。霊こそ実在であり、肉体がないというだけで地上にいた時と少しも変わらないこと、それが怨念や無念の気持を棄てきれずに迷い続けているにすぎないのですから、その願いを聞き届けてやるか、ないしは自分のしていることの愚かさに気づかせて向上してもらうかのいずれかにならないかぎり、いくら形式上の修法をくり返しても効験はありません。単なる“おまじない”では病気は治らないのと同じです。 さて、当家では市次郎の容体をみて、初めは悪い風邪くらいに考えて看病していましたが、一向に好転しないので加持祈祷もいろいろと行ってもらいました。しかし病勢は強まる一方で、八月に入ったころには市次郎の体は餓鬼のようにやせ衰え、さらに時おりうわごとを言うようになりました。たとえば二十二日には「三部経を上げてくれ」と言いはるので、とにかく言う通りにしてやりました。
 ところが二十四日になるとこんどは妙な身振り手まねを始めたので、家族の者はついに頭がおかしくなったか、それとも何かの憑き物のせいではないかと思い、これはどうあってもその地方で最も有名な神道の修法家で生松天神社の宮司・宮崎大門氏にお願いしなければ、ということになりました。
 冒頭で紹介しましたように宮崎家は大変な名家で、現在は十五代目の千秋氏が家督を継いでおられます。
 大門氏の審神者(さにわ)ぶりは浅野氏も絶賛しておられますが、確かに、もしもこの人なかりせば、これほど実のある決着は見られなかったであろうと思われるほど気が利いており、本人および背後霊の霊格の高さを偲ばせます。
 霊言現象で一番大切なのは審神者です。審神者の眼力・洞察力がすべてを決するといってよいほどです。最近やたらに霊言と銘うったものが出版されておりますが、その審神者ぶりは唯々諾々として承るだけで、そこにひとかけらの洞察力も看破力も見られないのが多く、私は危惧の念を禁じ得ません。このことに関しては結びの章で改めて述べるつもりです。
 さて、依頼をうけた宮崎氏が到着したのはその日の午後でした。病みついた七月四日から数えてほぼ五十日もたっています。主人の伝四郎からそれまでの経緯と病状の説明を受けた宮崎氏は「これは多分キッネのしわざでござろう」との鑑定を下しました。が、市次郎の発病以来ずっと看病に当たっていた親戚の長吉という男がこんな意見を述べました。
「私もキッネだと思っていましたが、キッネなら体のどこかに塊のようなものがありそうな
ものですが、どこをどう撫でてもそんなものは見当たりません。もしかしたら女の生霊かもれしません」
 実は市次郎に取り憑いている霊はこの長吉の言葉を逐一聞いていて、あとで「拙者のことをよくも四足の類いと思うたな」と長吉を咎める愉快な場面がありますが、それは“珍問珍答”のところで紹介します。
 さて市次郎が臥している部屋は母屋に面した役宅(庄屋の事務所)の奥の一室でした。そこには早くから三、四人の医者が詰めていて、薬の処方に苦心しておりました。そのうち容体が一段とあやしくなったので、家族の者を呼びに来ました。宮崎氏も家族の者とい。つしょに部屋に駈け込みました。その宮崎氏に向かって医者の一人がこう述べました。
「拙者はキッネのしわざかと思います。与えた薬は病人は少しも嫌がらずに飲みました。それにしても一体何が祟っているのか、拙者にはトンと見当がつきませぬ」
 そこで宮崎氏が「ともかくも拙者の修法を施してみましょう」と言って正式の装束を着用し、二筋の白羽の矢を手に持ち、さらに一振りの長剣を市次郎の弟信太郎に持たせ、やおら病人の枕元に近づきました。まわりには家族、医者、その他親族の者三十人ばかりが固唾をのんで見守っています。

注@ハイズビル事件――ニューヨーク州の片田舎のハイズビルという村にフォックスという名の一家が引っ越してきて間もない頃から、家のあちこちで物を叩くような音、はじけるような音がやたらに聞かれるようになった。しかしよく注意してみると、ケートとマーガレットの二人の姉妹がいる時にかぎってそういう現象が起きることが分かってきた。そしてある日二人が面白半分に簡単な符丁をこしらえて“交信”し合ってみたところ、驚くべき内容の返事が返ってきた。その音を出しているのは五年前にこの家に行商に来てその時の住人に殺された者の霊で、死体は地下に埋められている、ということだった。
 話を聞いた親はもしも本当だったら大変ということで、警察官立会いのもとで掘ってもらったところ、地下五、六フィートのところから確かに白骨死体が出てきた。村の人の話でも、そういえばよく来てくれていた行商人が五年ほど前から来なくなったし、その家の住人もその頃にどこかへ行ってしまったということだった。
 こうした殺人事件のからんだミステリーが拍車をかけて、その話が全米はもとより英国、ヨーロッパ大陸へと広まる一方、二人の姉妹の身辺にはその後も叩音が絶えないことから、事実究明のための研究グループがいくつか結成され、徹底的な実験・調査が行われ、同時に似たような異常能力をもつ者(超能力者、霊媒)も次々と現れてますます盛んになり、そこから死後の世界ならびに人間個性の死後存続を基本的事実として認めるスピリチュアリズムという思想が生まれた。
 
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