実録・幽顕問答より
古武士霊は語る

近藤千雄・著 潮文社


 前代未聞の誓約書

 ところで看病人の長吉は当初から市次郎に取り憑いているのはキツネに相違ないと思い込み、宮崎氏にもそう進言し、その後もずっとそう決めてかかっておりました。そのことがこの武士道の固まりのような霊にとってよほど腹に据えかねたとみえ、宮崎氏との問答の合間をみて長吉を鋭い形相でにらみつけ、こう言い放ちました。

「長吉! 汝はよくもこのわれを四足の類いと申したな! 今も言う通り、高貴の人の霊魂とても無念に死しては時には人を悩ますこともあるものぞ。よく覚えておいて以後つつしめ!とし」

 すると宮崎氏が見事にやり返します。

宮崎「そこもとの腹立ちもさることながら、たとい神にもあれ何にもあれ、目の前で人を苦しめる様を見て悪魔なりキツネなりと言いたりとて何の無理があるべきぞ。大切な御国人を悩ますとは、わが見るところも長吉と同じじゃ」

 これにはさすがの武士も返す言葉がなく、神妙に詫びます。

「今われ、ふと誤れり。何とぞわが願いだけは聞き届けくだされ」

宮崎「過ちを悔い善を慕う心はすなわち神なれば、われ、そこもとの望みのままに御剣加持を行いて進ぜよう。これを限りに当家を退散し、以後、人を悩ますことなかれ。石碑も建てて進ずべく、忌日には祭礼を行い、また諡号(しごう=おくり名)を授くべし」

 すると武士は嬉しさを隠しきれない風情で述べます。

「わが年来の願望ようやく叶い、諡号をも授からば、今後人を悩ますことをせぬばかりか、当家を守護し、また諸人をも救うべし」

宮崎「かく誓いしのちにもしそこもとが重ねて人を悩ますことあらば、その時は容赦せぬぞ! 骨を掘り糞壺に入れて恥をかかせん!」

「武士に二言はござらぬ!」

宮崎「しからば念のためにその旨を記せる一通の証文を書かれよ」
霊「証文とな? それには及ぶまじ」

宮崎「いや、すでに姓名を書きたる上は、定めし文字を心得おることであろう。ぜひとも書かれよ」

「さほどまで申される上は致し方もなし。ともかくも案文を示されよ」

宮崎「案文もそこもとみずから認(したた)められよ」

 すると武士はうなずいて無言のまま筆をとり、古風な書体ですらすらと認めました。原文はタテ二十センチ、ヨコ十六センチで、宮崎氏が敷き写したものが残されています。漢文体で書かれており、それを宮崎氏は次のように読み下しています。

《此度大門御剣ヲ以テ拙者立退ク様、心苦仕趣ニ相見、天保十年八月二十四日夜、御剣ヲ奉拝、此上ノ仕合過分ニ存、同夕此家ヲ立退キ、以来此家ニ不限、人ヲ悩マシ侯儀急度相慎ミ候    泉 態太郎》

 この文を平たく現代風に書き直せば「このたび宮崎大門氏は御剣をもって私が立ち退くように苦心してくださいました。天保十年八月二十四日の夜に御剣加持をしていただき幸せこの上なく、同夕にこの家を立ち退き、以後この家に限らず人を悩ますようなことはきっと慎みます」といったところでしょう。

 書き終わると「これにてよろしきや」と言いながら宮崎氏に差し出しました。読み終えて宮崎氏が「よろしかろう」と言って返すと、武士はこれを燭台の火で焼き棄て、改めて清書しました。それを受け取った宮崎氏が年号・月日・宛名も書いてほしいと欲求しますと、「それには及ばぬ事なれど、望みとあらば書き入れて進ぜむ」と言って改めて〈天保十年亥八月大門主〉と書き添えました。傍注で宮崎氏は「後ニ思ヘハ文中ニ宛名・年号・月日アリ其時ハ気付カサリシナリ」と記しています。

宮崎「年号月日はいかにして霊界に知れるぞ」

「先に述べたるごとく人間界のことは人の耳目を借らざれば正確には知り難し。われ先月より市次郎の耳目を借りて見るに、あの通り帳面三つ掛けありて、ともに天保十年正月と記せるを見れば、いずれも同時に調整され、今年が天保十年になること明らかなり。また月日を知るは、七月四日が余の忌日にて、その日は霊界にありてもよく知らるるなり。これはひとり余にかぎらず、他の霊魂もみなその忌日は知りおるものぞ」

 傍注に 毎年同じ日に火の玉が出るという所が日本中に沢山あることなどを思い合わせると面白いと記しています。さらに宮崎氏はここまで来てますます武士の霊であることを確信したので、その武士の願いを叶えさせてやることにしたと記し、居合わせた連中は早くから武士の霊に間違いないと言っていたが、自分は厳重に吟味しないうちは断定しないことにしている――あとで間違っていたなどというみっともないことは凡人のすることで、そのかわり、こうと決断したら自分は首をかけて臨む主義である、と結んでいます。

宮崎「そこもとが武士の霊なることは確かに認められたれば、今後は謚号を賜りて神として祭るべし。永く鎮まりて、これ以後は人を悩まし給うな」

「その儀は承知いたしたり。余にとりてこれに過ぐる悦びなければ、以後、人の守護こそすれ、夢にも人を悩ますこと為すまじ」

 そう述べた時の表情はいかにも満悦至極であったといいます。数百年の歳月を思えばさもありなんと思われ、うれしそうな様子が目に見えるような気がします。

宮崎「そこもと在世の時に何ぞ好めるものはなかりしや。例えば梅とか桜とか。あるいは玉石とか……」

「さような類の好みはなかりし。ただ、面白く思いしは高山大嶽などを遥かに望むことなりし」

宮崎「しからば〈高峰の神〉と諡号せんはいかに?」

「さような優雅なる号をいただき神として斎(いつ)き給わるとは、有難しとも有難し。これまで当家に祟り世に害を為したれば、その罪ほろぼしのため、今後は力のかぎり清浄の神となりてこの家を守護すべし。〈高峰の神〉の神号はご苦労ながら貴殿にて書きくだされよ」

宮崎「そこもとの筆にて書き残されては如何?」

「屋号をみずから書かんは異なるものなるべし」

宮崎「いや、もっとものご意見。さらば神号はそれがし書きて進ずべし。ただ七月四日の四文字はそこもとの自筆を碑の裏面に刻ることにすべし」

 最終的には〈高峰大神〉となり、七月四日は右側面に刻まれています。

「いよいよ神号を賜り神と斎(いわ)わるる上は、もはや今の墓地にては止まり難し。また凡人の墓所に神号の碑を建てむも如何なり。どこぞ別に清浄の寸地はなきや。主人とも談合し給わずや」

宮崎「野辺山という村有の山もあり、主人の所有地もあり、また社地もあり。いずこに定むべきかは一家と相談の上にて決することとしたい」

「国法もあることなれば、公の手を煩わせることは不本意ながら、叶うことならば、なるべく清浄なる社地に鎮まりたし」

 そこで一同評議の上で当地の社家・山本参河(みかわ)という宮司を呼びにやることになりました。そうと決まった時、医師の吉富氏が気を利かせて――

吉富「これほど問答が長引いては退屈でもござろう。しばし休息されては如何?」

「わが輩は宿願の叶う折にて嬉しく、憩うには及ばねど、市次郎の体は長らく苦しめたれぱ長座はよろしからず。社職の来るまでしばらく同人に一睡させたし。社職の来る時もし引き合わせあらば起こさるべし。又、御剣加持の時は必ず起こさるべし。それを限りに立ち退くべし。さらばご免」

 そう述べて一礼して夜具の中に入りました。寝入ってしまった時の市次郎はまさに大病人で、泉態太郎の面影はどこへやら、ただただ眠り込むのでした。
 
 
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