実録・幽顕問答より 古武士霊は語る 近藤千雄・著 潮文社 |
珍問珍答 さて来着した神職の山本氏は白衣に縞の袴を着用し、病人の上座に席を取りました。むろんそれまでの経緯については何一つ知りません。そこで宮崎氏と市次郎の父・伝四郎が両二日の経緯を語って聞かせ、その武士の石碑の設置場所をどこにしようかということに相成った次第でござる、と来たものですから、山本氏は何が何やらさっぱり分からず、ただ茫然として無言のままでした。 無理のない話です。いくら神職にあるとはいえ、この種の怪異現象はまずもって体験はないはずです。そこで宮崎氏がその辺を察して「貴殿のご不審はもっともなれど、拙者の調べによれば、これがまさしく一人の武士の霊魂なることはもはや一点の疑いもござらぬ。それゆえ石碑建立の儀も承諾いたしたり。ただし、貴殿をはじめ一座の方にいささかなりとも疑いあらば俯に落ちるまで直接その霊魂に問われて結構でござる」と申しました。 すると一座の者も「誠に恐れ入ったる霊魂でござる。一点の疑念もなし」と口々に申すのでした。ところがその中で一人長吉のみがなお不審の念を消し切れずにおりました。それは次の三点です。 一、武士たる者の霊ならばなぜすぐに父親の所へ行かないのか。 二、武士たる者の霊ならばなぜ二十二日の夕べに三部経を上げてもらっていったん市次郎の身 体を離れながら再び戻ってきたのか。 三、その際に山芋を食い、また一日中塩のついた握り飯を食べなかったのはなぜか。 以上の三点を長吉から聞かされた宮崎氏も、そう言われてみればもっともな話なので、改めて問うことにしようと言いました。 やがて武士が戻ってきたとみえて、寝ていた市次郎の身体が元気よく起き上がり「先刻迎えに行かれし神職は来られしや」と問いました。近くにいた一人が「そこに見えておられます」と言うと、その山本氏を無言のまましばらく見やり、山本氏の方も無言のまま座しておりました。 かくして新たな局面を迎えました。そして武士はそれまで見せなかった軽妙洒脱な一面を見せることになります。 宮崎「さらに問うべきことがござる。まず武士たる身が父のもとへ行かずして人を悩ますこと、また二十二日の夕べにいったん帰りながら約束を破って再び戻り来ること、また山芋を食い、一日中塩のつきたる握り飯を食わざりし事、いずれも不審なり。いちいち明らかに申し開かれよ」 霊「武士たる身が父のもとへ行かずして人を悩ますうんぬんの件は宮崎氏の腹より出でたる言葉にてはなかるべし。父の遺言を果たさずして切腹したる身がなどておめおめと父のもとに行かるべきぞ。 また二十二日の夕べの事、山芋の件、握り飯の事などは宮崎氏の知らぬことならば問わるるはずもなし。たとえ知りたりとて、余を武士の霊と断ずる前に問わるべき事どもなり。 察するところ、余の一睡の間に傍らより入れ知恵せし者あるべし。さらば今そこもとに答うるの要はあるまじ。入れ知恵したる当人を出されよ。直接語り聞かすべし」 “図星”とはこのことでしょう。この冴えた勘の鋭さはさすがに武士と言いたくなります。宮崎氏も二言はなく、長吉をさし招いて、ここに来て委細を承れとすすめました。 ここで一座の間でざわめきが起こりました。一件落着へ向けて順調に進みかけていたのに、長吉の余計なお節介であらぬ方向へ進みはじめ、これでは市次郎の体に障るというグチをこぼす者が多かったのです。ところが父親の伝四郎は剛気な人で、市次郎のことは構わんからやりたいだけやれ、と言い放つのでした。 なおもざわついている中で武士は、もうすっかりこの世の人間になりきっている調子でこう言うのでした。 霊「コレコレ、おのおの方、声が高い。静かに致されよ。拙者がその者によく諭し聞かせむ。イザ、近う寄れ」 傍注によると、そう述べた時の態度は威ありて猛(たけ)からず、あたかも加藤清正か大閣秀吉に向かっている心地がして、まことに敬意を払うべき人物に見えたということです。長吉もその堂堂たる雰囲気に押されてしばらくモジモジしていましたが、早くせんかと促されてようやく市次郎の枕元までにじり寄り、神妙に「ここにてお話を承ります」と言いました。ここから二人の間で珍妙な問答が交わされます。が、珍妙な中にも、現界と霊界の関係についていろいろと考えさせるものを含んでおります。まず武士がこう諭します。 霊「されば長吉、汝の疑いは一応もっともなれど、ちと肚を大きく、耳を澄ましてよく聞けよ。前にも言えるごとく、およそ山川に年ふりたる禽獣虫魚、また大樹巨石の霊など、みな人を悩ます力あり。また生霊という生者の一念、恨みある者の身体に憑(つ)き、その者を悩ますこともあり。また死せし時の一念、現世に残りて人を悩ますこともあり。 余は死ぬる時の無念やる方なく、その上死骸を打ち棄てられ、標(しるし)の石さえ建てられざる事の悔しさに、かくして市次郎の体を病ましめるなり。体を病ましめざればこの身体を借り難く、市次郎の魂のあるべきところにわが魂を宿し、その耳、その目、その口等を借りるがゆえに、かくのごとく、わが思いを人にも告げうるなり。 されど、余が邪気と疑われ野ギツネと思われるも無理なき次第にて、さきに大門君の詰問の合間に汝に怒りしは余のあやまりなりと認めたるは、汝も知り居るであろう。汝は大を悩ますは野ギツネばかりと思いおるがゆえに疑念が解けざるぞ。考えてもみよ、野ギツネが石碑の建立を望むものか。また野ギツネならば神法もて加持を受けて退かずということがあるべきか。 今もし汝の疑いにて余が野ギツネなりと断定されるに及べば、数百年の願望成就せざるのみか、これ以後も当家をはじめ諸人を悩まし、今のごとく悪鬼となりて取り憑くであろう。世の為、人の為、当家の為、そして余の為を思い、これまでの経緯をよくよく慮(おもんばか)りて余の正体を見届けてくれよ」 山本氏は事の経緯を知らなかったにもかかわらず、この武士の話だけですっかり感動してしまい、上座に居づらかったと後で述べたそうです。確かにこの一節にはいろいろと教えられることが含まれております。 「山川に年ふりたる禽獣虫魚、また大樹巨石の霊」とあるのは、前にも述べた“精霊”のことです。日本人は太古から直感的にこの存在を認識していたらしく、大樹や巨石にしめ縄を張ってあるのをよく見かけます。自分の年齢より古い木をみだりに切ってはならないということを聞かされたこともあります。ある神社の宮司に「大木を切る時にお酒などを供えるのはなぜですか」と尋ねたところ、「木の精が酔っぱらっていい気持ちになっているスキに切るのですよ」と言って笑わせたのを記憶していますが、これはもちろん冗談です。 精霊というのは人間の霊よりも進化の段階としては低く、知性も持ち合わせず、同時に邪心もないのですが、“怒る”ということだけはあるようです。(詳しくは後の注@) さて長吉は次の疑問点を述べます。 長吉「仰せの通りあなたは武士の霊に相違あるまいとは存じます。ただ、武士の霊ならばなぜに父上のもとへ行かれませぬか」 霊「余を人霊と認めた上で、さらに何ゆえに父のもとへ行かぬとな? 武士たるがゆえにこそ行かれぬなり。父の遺言を果たさぬ身が行けるか行けぬか、考えてもみよ」 長吉「当家の祖父ならびに市次郎があなたの遺骨の在り場所を踏んだとて祖父を殺し市次郎を大病人となすこと、武士の霊の仕業とは受け取れませぬ」 霊「わからぬ奴じゃ。ああ、かかる凡愚を相手に言葉を交わす身と成り果てたることこそ悲しけれ。汝は人を助くるが武士の道なるに、人を殺しては道に外れる、ゆえに武士の魂にはあるまじと言うつもりであろうが」 長吉「その通りでござる」 霊「前にも言えるごとく、たとい高貴の人たりとも無念に死しては世に祟ることあるものぞ。顕世の無念は顕世よりその道をもって解きて貰わねば晴らし得ぬものなり。されど、かかる道理はいかに言葉を尽くすとも、汝などの耳には入り難かるべし。ただ当家の主人が先刻たとい市次郎の体に障ろうと不審の点は飽くまで問えと述べたるは心地よき男子の言なり。なお何かと疑いあらば問え。腑に落ちるまで諭してつかわす。いかなる善人といえども死後わけありて世を悩ますことあるは古今に和漢の事実あり。よく調べた上で問うがよい。余一人のみではござらぬぞ」 長吉「お侍の身にありながら、なぜ山芋を召し上がられましたか」 この質問に武士も思わずプッと吹き出しました。 霊「さてさて可笑しき問いじゃ。汝の言わんとするは武士の魂ならば何も食わぬはずなるに、物を食べるは四足の仕業と疑うならむ。この儀ならば教えてつかわす。おのおの方には退屈 なるべけれど、しばらく許されよ。 汝もよく知るごとく、二十一、二日のころ市次郎の病ことのほか重く、一切の食事を口にせぬため、吉富をはじめ家族の者が何ぞ彼の好めるものはなきかと幾度とかく勧めたり。しかるに市次郎の腹内には四、五年前より病ありて、左の腹の痛むことは拙者よく知りたれば、人々の勧めにまかせ腹に障らぬ山芋をばわざと食わせたり。こちらより求めたるにはあらで、ワイラが勧めしならずや。また武士は山芋を食わぬという掟があるか。むろん拙者は霊なれば物は食わぬ。山芋は市次郎のために食わしたのじゃ。山芋を食えば四足との証拠ありや? イザ、答えよ。どうじゃ?」 ここはまるで子供を諭すように穏やかに述べました。すると長吉が次の質問をします。 長吉「なぜつまんでお上がりになりましたか」 霊「これこれ、汝の問いはすでに余を武士の霊と決めた上での問いのようじゃ。武士が物を食う作法に相違するゆえにその無作法を咎むるつもりじゃな? 汝は定めし山芋の食法の宗匠と見ゆる。農民町民はかくして食い、武士はかくして食うものと、いちいちその作法が定まりておるものと見ゆる。まずそれから聞くと致そう。それ次第にて拙者も答えると致す。とく言い聞かせよ」 そう言って武士は膝を乗り出しました。居合わせた人たちは皆その一分のスキもない、それでいて機知に富んだ舌鋒(ぜっぽう)に感心してしまいました。また、長吉とのやりとりの時は言葉が横柄で、お国訛りもたくさん混じり、「ワイラ」″だの「ソイラノコトモワカルメエ」だのと言ったそうですが、こうしたことから改めて大切なことが明らかとなります。 それは、われわれ人間の個性も性癖も言語も記憶も、すべて“霊”そのものに具わっているのであって、脳ではないということです。脳はたとえてみればピアノのようなものであって、鍵盤を叩くのはあくまで人間であり、ピアノそのものには曲を生み出す力はないのと同じで、人間の脳はあくまでも機械であり道具であって、それを本来の自我である霊が使用しているのです。したがって死によって肉体は滅びても、それまでに肉体を通して表現してきた“その人”――個性、クセ、記憶、才能、言語その他ありとあらゆるものを携えた存在が、そっくりそのまま生き続けるのです。 しかも、有難いことが一つあります。それは脳その他の器官の障害によって不自由を強いられていたことが、すべて健全な状態に戻り自由になるということです。それは、ピアノにたとえれば、キーの調子が狂っていたためにまともな曲が弾けなかったのが、元通りの正常な状態になるのと同じです。 しかし同時にまずいこと(?)もあります。地上でしでかした過ちも、死んだからといって免除にならないことです。心で犯した罪だけでなく肉体で犯した罪も漏れなく残っております。それも、他人に対しての罪ばかりではありません。自分自身に対する罪もあります。精神的な面では自分の良心に忠実に生きられないというのがそれであり、身体的な面では軽いものが不摂生、重いものが自殺ということになります。 「わが身切腹して死したる故にや、人並みの場所には居苦しく……」というこの武士の正直な告白は、神の摂理の神妙不可思議さを物語っております。「天網恢恢、疎にして漏らさず」という老子の名文句がありますが、これは死後にも当てはまるようです。 長吉「それにしても塩をつけぬ握り飯を食われたのはなぜですか。元来キツネというものは塩が嫌いなものです」 と言って澄ました顔で火入れを擦っております。 霊「さてさて、疑いの深いことじゃ。なるほど摂者は七月四日以来、塩のつきし握り飯をただの一度だけ食わぬことはあれど、それを証拠に野ギツネなりとするは笑止の至りじゃ。なぜ拙者が食わざりしかは握り飯を運べる女のことを考えて判断せよ」 武士はここでも笑いながら言いました。 長吉「はて、握り飯を運んだ女……分かりかねます」 霊「されば、握り飯を握れる女はそのとき月の経行があったのじゃ。女にそのことを尋ねてみよ」 居合わせた一同はみな顔を見合わせて驚きました。そしてさっそくその女性を呼んで聞いてみますと、果たしてその通りで、すでに六日目だったとの返事でした。武士はさらに言葉を続けて―― 霊「霊魂となりては月の経行を不浄とするにて、塩のつきたるを嫌うのではない。もし疑うならば塩を持って来てみよ。眼の前で食ってみせようぞ。それにしても七月四日以来今日までの四十余日の間に塩を食わざりしはただの一度なるに、それを証拠に野ギツネなりとするは何たる無礼。さあ、文句あらば聞かむ。余にも過ちあらば武士たりといえども両手をついて謝らむ。さあ、どうじゃ」 この武士の論法には一分のスキもありませんが、一言異議を唱えたくなるのは私だけではないと思います。 太古から、日本にかぎらず世界のいずれの民族においても、女性を不浄なものとする観念が一般的だったようですが、それは古代人が――今でも未開地において――日蝕や月蝕を不吉なものとしたのと同じで、要するにその原理・生理が分からなかったために“見た目”の感じで不吉あるいは不浄としたに過ぎないと私は考えます。 まして男尊女卑の観念の色濃い儒学と禅宗を根幹として発達した武士道において女性を本来不浄なものとしたのは至極当然のことで、“女人禁制”“女人結界”などという標識がそれを物語っております。 私はフェミニストでも何でもなく、ただ大自然の叡知という観点から考えてみれば、それ本来が悪であるとか不浄であるとか不吉であるとかいうものは存在するはずがないという、極めて単純な発想からそういう考えは間違いであると指摘するまでです。 それはちょうど人類が勝手に“万物の霊長”であると自惚れ、大自然のものをまるで自分の持ち物であるかのごとく都合の良いように扱ってきたツケが、現代に至っていろんな形で面倒なことを生んでいるのと同じで、これまでの世界の大勢が男性本位で動いてきたための弊害も、戦争をはじめとして数知れません。 もとより女性自身がそれを恥じらい身を慎むということは大切なことで、それは大小便は人間としてごく当たり前の生理現象であっても、そこにはおのずとマナーがあるのと同じでしょう。が、生理中の女性が握ったものだから食わないというのは、明らかにそういう教えが染み込んでいるというだけのことで、もしもそれが真実ならば、糞袋を抱えた人間は男女とも神仏の前には侍れない――たとえ禊(みそ)ぎをしても、ということになります。 スピリチュアリズム思想の大切な教えの一つに“波動の原理”があります。これは森羅万象はことごとく一定の波長をもった放射物を出していて、人間と人間、人間と自然界、人間と霊、霊と霊の関係もことごとく同質の波動をもったもの同士が感応し合うというものです。 しかし人間は一日のうち何回も気分が変わります。そのつど波動が変化しているわけで、したがって見えざる世界の霊的存在とのつながりも決して一定不変のものではなく、先刻まで守護霊の導きを受けていたのに、つまらぬ感情を抱いてその連絡関係が切れ、代わって低級霊に操られているということがよくあります。霊能者をもって任じている人でも例外ではありません――否、むしろそういう人の方が、よくよく身持ちを厳しくしていないと、邪霊・悪霊の類につけ狙われ易いのです。霊界から指導に当たる霊にとってそれが一番厄介なことのようです。 結局人間として一番慎まねばならないのは不安・不吉・不浄・陰湿な心、邪心等を抱くことで、形式的な礼儀作法や信仰をいくら修めても心が穢れていては、霊的にいえばそれが一番不浄ということになります。 さてこの物語の時代は今から百五十年も昔のことで、封建思想が強く、ましてアカ抜けた心霊思想がない時代でしたから、右の武士の言葉には一同よほど感心したらしく、さすがの長吉もこれでついに閉口して詑びを言うのでした。 長吉「わしが悪うございました」 霊「イヤイヤ、これほどまでに理を詰めて説いたとて、汝はなお疑いを棄て切れぬようじゃ。真実おのれの過ちを悔ゆる様子はまだ見えぬ。もはや夜の明くるに間もなけれど、汝の疑い の晴るるまでいつまでもこの座を動くまじ。さあ、とくと尋ねよ、とく!」 と言って火入れを持って吉富医師と山本神職の間に進み入り、「ご免!」と言ってどっかとあ ぐらをかきました。市次郎の体力の方が気がかりな連中は長吉が余計なことを聞くからこんな ことになったと口々に罵るので、長吉も大いに恐縮して畳に頭を擦りつけて詫びるのでした。 もっとも武士は心底から長吉に腹を立てていたわけではなく、このあとで長吉の方を指さして 「この男、愚痴にてはあれど、長々と市次郎を親切に看病せしは奇特なれば、病気平癒の後は、この度のこととくと市次郎に聞かせるがよい。当人も定めし歓ぶことでござろう」 などと述べております。ここに言う“愚痴”は今日の意味とは違って、物分かりの悪い奴、という本来の意味で使っています。いかにも下々に向かって述べている響きが伝わってくるようで、こうした片言隻語にも死後数百年たってもなお“武士階級”の意識がそっくりそのまま残っていることを窺わせます。 注@精霊――英国の有名な霊界通信の一つであるジョージ・オーエンの『ベールの彼方の生活』全四巻の最後の項目に〈精霊とその守護天使の群れ〉というのがある。その一部を紹介しておく。 それは個性をもたない自然界の精霊で、鉱物の凝縮力として働くもの、植物の新陳代謝を促進するもの、動物の種族ごとの類魂として働いているものとがあります。 鉱物の精霊はこの分野を担当する造化の天使によって磁力を与えられて活動する以外には、それ本来の知覚らしい知覚は持っておりません。が、植物の精霊になるとその分野の造化の天使から注がれるエネルギーに反応するだけの、それ本来の確立された能力を具えております。鉱物にくらべて新陳代謝が速く、目に見えて成育していくのはそのためです。(中略) 現実には常に人間界で活動しているのですが、地上にそれに似たものが存在しませんので、その形態を説明することはできません。一見しただけで自然界のどの分野を担当しているかがわかる、と言うに留めておきましょう。大気層を担当しているか、黄金を扱っているか、カシの木か、それとも虎か、そうした区別が外観から明瞭に、しかも見事に窺えるのです。形、実質、衣――そのすべてに担当する世界が表現されております。 |
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