実録・幽顕問答より
古武士霊は語る

近藤千雄・著 潮文社


 災厄の原因と厄払い

山本「お話中なれど、実は先刻当家に火難の運気いたれる由を聞きて当家の主人よりわれらにお頼みあれば、われらにて家運隆盛の祈祷を修せしが、かかる修法によりて火難の凶運消失するものでござろうか。災難はいかにせば免るべきものか、ご存知あらばお知らせくだされ」

 杜氏頭と作次郎も脇から「ぜひお聞きかせあれ」と頼みます。当初の怪けもの騒ぎはどこへやら、今や泉熊太郎はまるで霊界からの使者という感じで、居合わせた者は、市次郎の体から離れぬうちに一つでも多く聞いておこうという心境になっておりました。

「貴殿方のご祈祷にてその凶運は必ず免るべきにござるべし」

山本「余などによる祈祷にて災厄を免るるとの証拠やいかに」

「証拠という義にはあらざれど、先月それがしに神法加持など致されしにより、数百年宿りしわが墓地にわかに穢らわしくなりて甚だ住み難くなりたるを思えば、その神法には邪気を転じて正に帰する威力あるは間違いなかるべし。一家の凶運もこれにて消失すべしと申すなり。その上、今は主人をはじめ家内の者どもみな心を改め、俗事にかまけて大本の道理を忘れぬ心底に帰りおれば、丹精こめし祈祷によりて開運間違いなかるべし」

山本「この度の火難はつまりは人間の不手際によるものか、それとも天罰か、邪神の所為か、はたまた竈(かまど)神の怒りか、お教えあらば祈念に際しても心得るべし」

「世の災禍は人間の不手際によるものも多けれど、中にはそれが神明の怒り、邪神の荒びを伴いて起こる場合もあり。また如何なる原因とも知られずして自然に発生するものもなきにしもあらず。あるいは竈神を粗末にして怒りを買うこともあれば、粗末にしたとて何の祟(たた)りのなき時もありぬべし」

山本「さらばこの度の事は竈の神の御怒りでござろうか」

「竃神の荒びと言えば言われざるにもあらず。邪神は好みて人に害を為し、神明つとめて邪神を除き給う。すなわち竃神の司り給う竃に不浄を集め無法を働くことは、これ邪神の望むところにして神明の嫌うところなれば、凶事はその辺りより起こるなり。ご両所(宮崎・山本)より当家の者に篤とこの道理を教え給われよ。誰しも家業の忙しき時は天地の道理、大本の摂理にもとりて物事を粗略にし、穢れを招き易きものなれば、よくよく注意の肝要なること、導きありて然るべきことなり」(下線近藤)

 傍注で宮崎氏は「この一節を清書しながら思い当たることを記しておく。以下は私自身の考証によるもので参考にしていただきたい」と述べて、上古より日本では竈を大切にしてきた事実を各種の書物から挙げて、これは生活の根本が竈にあるのだから当然だが、それに引きかえ最近の傾向はどうか、と嘆き、二、三千年前の日本人は霊的原理を弁えていたのに今はそれがおろそかにされており、これ以後に至っては私の述べることなども物笑いのタネになるやもしれぬが、浅学ながら参考までに書き記すものである、と結んでいます。
「今の若いもんは……」というセリフは古今東西どこの国でも聞かれるようですが、この竈の問題は井戸や便所、炊事場などの問題と同じく、生活形態の変化によってその概念が変わっていくのは止むを得ないことでしょう。
 しかしここで私が問題としたいのは、井戸の神さま、炊事場の神さまといった概念が消滅するのはもはや避けられない趨勢にあるとしても、便利さのあまり水やガス、食べものに対する感謝の念まで忘れてしまうことです。
 私が思うに、自分が今こうして生きているという事実の不思議さに目覚め、結局は生かされているのだと知って、それを有難いことと受けとめることが人間としての原点ではないでしょうか。そしてこの感謝の念を忘れないことが、災厄を防ぎ好運を招く上でいちばん大切なことだと思うのです。さきの武士の言葉で私が下線を施した部分はその心構えを裏返して述べたようなもので、霊的原理を絶妙に表現していると思います。
 霊界と現界との関係が波動の原理によることは前に述べましたが、邪(よこしま)な考え、ひねくれた心、陰湿な気分、取り越し苦労といったものを抱くことが、同じ波長をもつ霊を呼び寄せることになり、そこに面白くないことが生じるわけです。それを防ぐには坐禅だの滝行だの断食だの千日行といった特殊なことをする必要はありません。もし真理を悟る上でそれが不可欠だとしたら、子供より大人の方が、女性より男性の方が圧倒的に有利ですから、これは不公平ということになります。
 摂理に適った生き方はいつでもどこでも誰にでも実践できるものであるはずです。子供は理屈は分からなくても神の心を体現してみせてくれております。事実、古今東西の霊覚者の説いていることは実に簡単なことばかりです。その中でもいちばん簡単なのが、「有難いと思う心」を忘れないことで、シルバーバーチはそれを積極的に表現して「いついかなる時も人のために役立つことをしようという心掛けを忘れないことです」と言っています。それは生きていることに感謝し、真理を知ったことを有難いと思う心がなければ出来ないことです。
 モーリス・テスターという心霊治療家が『現代人の処方箋』(潮文社)の中で、私の祈りの言葉は二つあり、一つは「どうぞ神の御心のままに」、もう一つは「ありがとう」である、と言っております。これはスピリチュアリズムの奥義を悟った者にしてはじめて言えることでしょう。
 
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