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第4章 生と生のはざま @ |
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言語はこの世の体験から生まれたものなので、生と生のはざまという非物質界では言葉は役にたたない。どうすれば表現できないものをあらわし、言葉にならないものを語ることができるだろうか。イギリスの詩人ロバート・ブラウニングは、その作品『パラケルスス』で、バルドのとらえがたい本質にせまった。私たちの心の奥深くを探ればそれに到達できる、とブラウニングはこう書いている。 われらの心の奥深く 光にみちて真理が住まう …… 「知ること」 それは 路をひらくこと 心の奥から 囚われた光を逃がしてやること 光は 外から 来はしない ホイットン博士は30人以上の被験者につき添って、何年がかりかでこの時間と空間のない「囚われた光」の領域へと彼らを連れていった。その体験は筆舌につくしがたい強烈なもので、はじめてそこを訪れる者は言葉を失い、畏れおののきのあまり顔をひきつらせ、あたりのすばらしさを表現しようとしてもただ唇を震わすばかりである。彼らはのちに、その時の溢れんばかりの豊富なイメージや印象の解読に懸命に努力する。ある被験者の話はこうだ。 あんなに良い気分になったのは初めてです。この世のものとは思えないような恍惚感。ものすごくまぶしい光。私にはこの世で持っているような身体はなく、かわりに影の身体、アストラル体があって、宙に浮いていました。地面も空もなく、境界のたぐいはありません。何もかも見通せます。他にも人がいて、話をしなくても意志を通じあうことができました……。 ホイットン博士が超意識と名づけたこの至福の状態を定義すれば、いかなる存在状態をも超えたリアリティーを知覚することだといえる。これは夢をみている状態や体外離脱体験・前世の再体験などの、どの変成意識とも異なっている。超意識の状態とは、存在の本質と同化し、自分のアイデンティティー感を放棄し、その結果、一見矛盾するようだが実はこれまでになく自己というものをはっきり知るようになる状態である。 超意識とは、身体の束縛から解放され、宇宙と一体となって、はてしなくひろがる雲の中の、ひとひらの雲になることなのだ。こういうと、それこそ雲をつかむような話になるかもしれないが、中間世がおとぎばなしの世界だといっているわけではない。 その豊かさを味わった者は、自分のおとずれたのが究極のリアリティーすなわち、生まれ変わって次の試練をうけるためにそこから船出していき、肉体が死ねばまたそこへ戻ってくる意識の世界なのだ、と知っている。 |
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