輪廻転生
驚くべき現代の神話
J・L・ホイットソン/J・フィッシャー・著
片桐すみ子・訳 人文書院
 
第4章 生と生のはざま
I

 新しい身体なら何であろうと欲しくてたまらない未発達の魂は、中間世に長くはとどまらない。以前の人生での所業のせいで生じたカルマの償いを早くすませようと、地上に生まれるチャンスをうかがっている者も同じだ。滞在が長びくのは、つぎにこの世に生まれるための準備に大いに努力したいと願うせいかも知れないし、進歩発展に関し無気力な態度をとるのが原因かも知れない。後者の場合だと、つぎの転生の「起きよ」というよびかけがあるまで肉体をはなれて眠ってしまうことになる。紀元前五世紀のギリシアの歴史家ヘロドトスによれば、古代エジプト人はひとつの転生とつぎの転生までのあいだに三千年間かかると教えていたという。ところが現代の催眠療法家たちの手でこの数字はすっかり書き替えられた。被験者の多くは20世紀という期間内だけでも数回生まれ変わってきているのである。ジェーン・ロバーツを霊媒として通信してきたセスという有名な精霊の案内人がいる。セスは、バルドの長さは個人の選択によって決定されるということは確実だ、といっている。「それは常にその人次第である。あなたの心の中にいま答があるように、その場合も答はあなたの内にあるのだ」と彼はいう。
 この世に入る前に魂は意識のバイブレーションを低める働きをする、形のない障壁を通りすぎる。この障壁――古くから言われてきた「忘却の河」で象徴されるもの――を越えるとバルドのすばらしい記憶は消え去ってしまう。こうしてすっかりバルドの記憶が消え去ってしまうせいで、あとにしてきたすばらしい世界にいつまでも思いこがれたり郷愁を感じたりすることなく、過去の所業や過ちの影響で心を乱さずに新しい人生に乗り出せるのは、実にありがたいことといえよう。同じく重要なのは、来るべき人生にそなえて魂が立てた計画がどんなものかも、必ず忘れてしまう点だ。学生にとってテストの前に答がわかってしまっては意味がないように、人生のテストでも、ある種の情報は意識の心には一時的に知らせないでおく必要があるのだ。
 実際に体内にいる最初の記憶は、誕生の数力月前から、子宮からでてきた直後までの時点にわたって報告されている。ホイットン博士の被験者の多くは、母親のうえに「浮いて」いたといっており、母親に食物や音楽を選ぶようにすすめ、煙草やアルコールをやめさせ、一般的に母子がたがいに健康で幸せになるようにみちびいていた。胎児の名前を伝えてきたケースもいくつかあった。
 魂が肉体に入るのは徐々にだろうか、瞬時にだろうか。誕生のずっと前か、誕生時か、生まれ落ちてからだろうか。それとも人によって大幅にちがうのだろうか。これらは重要な問題だが、大量の証拠はあってもみなまちまちで、そこからはっきりした答はでていない。ふたつのタイプの記憶、すなわち脳の記憶と魂の記憶とが併存しているため、この問題はややこしくなっている。脳の記憶は妊娠三カ月以内に機能しはじめるために、催眠下の被験者が伝えてくるメッセージが中枢神経からくるのか、永遠の「自己」の存在からくるものなのか判断するのはむずかしい。これがはっきりしないため、目下沸騰している堕胎論議にしろ決定的な見方は出てこないのである。ただ言えるのは、堕胎が行なわれたときにもし魂が肉体に存在していれば、胎児を堕ろすのは殺人行為と同等であるし、肉体に宿っていなければ中絶医のすることは一片の組織細胞の除去にすぎない、ということだけである。
 転生はバルドなしに生じ、前の身体が死ぬと同時に新しく生まれるとする、イスラム教の一派であるレバノンのドルーズ派の信仰を考えると、堕胎の問題は一層複雑になってくる。中間世の状態がないという考えはインドのジャイナ教徒もおなじで、新しく生まれる人間は、その前世の身体が死んだときに妊娠されるといっている。エドガー・ケイシーのデータが示すところでは、分娩前後のわずかな期間もしくは誕生の瞬間に、魂は肉体に宿ることができる、という。概して、ホイットン博士の被験者はケイシーの透視による説を支持しており、つぎのような誕生の体験も報告されている。

 私は分娩室にいて、母とそのまわりにいる医者たちを見守っていました。進行中のすべてのもののまわりを白い光がとりかこんでおり、私はこの光と一体でした。それから「生まれてきますよ」という医者の声が聞こえました。自分はあたらしい身体と合体しなければならないということがわかりました。今生で生まれてくることにはまったく気がすすみませんでした。光の一部でいるのがとてもすてきだったからです。
 
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