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第4章 生と生のはざま I |
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あたらしい人生が展開していくにつれ、中間世が存在しなかったかのような気がしてくるのも無理からぬことである。子供には中枢神経系から生じたアイデンティティーが発達するため、この中枢神経そのものと、一時的に宿っている肉体という環境とが、唯一のリアリティーを形成すると思いこんでしまうのだ。言語が発達するにつれ、本来のより純粋な存在形態に漠然と感づきはしても、それは「実在しないもの」として忘却のなかに葬りさられ、あいまいかつ抽象的で非常に不確かなものとしてかたづけられてしまう。 深いトランス下での中間世の旅を終えた人が平常の意識をとりもどしたとき、ショックをうけたり肝をつぶしたりすることがよくある。お菓子屋の店先で夢中になっているところを不意に外につまみ出されてしまった子供のように、ホイットン博士の被験者たちも、あの何もかもすべてを知ることのできる国へと戻りたくてたまらなく思うのである――人生の意味がおのずとわかり、魂とその永遠の目的とをガラスを通したように透かし見ることのできる、あの国へと――。 「信じられないほどすばらしい世界にいたところを起こされてしまうなんて……やっと本ものの世界がわかったというのに」と、ある被験者は不満の声をもらした。人間は滅びねばならぬ肉のからだに閉じこめられているにすぎないとしたら、「真のリアリティー」を一瞥しさえすれば、バルドの体験をきっとまた繰り返すことができるにちがいないということがわかるだろう。それを知ったあとには死の恐怖はなくなる。ある被験者は。 「死ぬことが、とてもすばらしいことだとわかりましたから、これで私は死を楽しみに待つことができます」 と語っている。 生と生のはざまを旅した人々は、ほとんどだれもがこのすばらしい別世界の感覚を目覚めたときにおぼえているが、トランス状態では比較的納得のいく説明をしたにもかかわらず、その記憶をみずから満足するまで説明することができる人はほとんどいない。 「あまりにもかけはなれているんです」と、彼らは言葉を手探りしながら言うことがよくある。 「はっきりとは説明できないんですが……。でもやっとこれで私の人生がなぜ、どうしてこうなったのかがよくわかりました」とある女性は語っている。超意識がどんなものか説明するのがむずかしい理由のひとつは、それが他にたとえようのないものだという点にある。人間は不思議なできごとを言いあらわすとき、すでに自分が知っていることばで表現するものだが、この世には中間世にたとえるものが何もない。シンボルでさえもその体験の内容や意味をとらえることができないようだ。 また再度、自分の思い出したことを検閲することがあるかも知れない。ある被験者は、「話をしないでおくことはできても、うそはつけません」と書きとめている。否定的な感情を表にあらわすまいと抑圧してかかる傾向はつよい。近づいているできごとを意識の心が知るとカルマの進展のさまたげとなると決断すれば、必ず魂はみずからの記憶を消し去ってしまう。催眠下で自分が将来出会うはずの事件をかいまみてしまった被験者たちが、ホイットン博士にその記憶を意識から消してくれるように頼むのは再三のことだった。 「どうか目がさめたら、このことを思い出させないでください。自分でカルマを書きなおしたくなってしまうかもしれないですから」と被験者たちは頼んできた。自分の未来の境遇を物語っている最中にトランス状態からはね起きてしまい、これまで明らかになってきたことを何も思い出せなくなってしまった者もある。 それにもかかわらず自由にカルマの台本に眼を通し、そこで知ったことを意識にのぼらせ、自分の将来の人生におこる出来事を予言しようという気持ちになった被験者もいる。そういった予言がごく近い時期のもので、確認することができた場合には、常に予言が正しいことが証明された。これからさき何が起きるのかをそれとなくにおわせる――あくまでもにおわせるだけだが――ケースはさらに多い。1984年8月、ある機関車の運転手は1985年秋に「何かとても悪いこと」が待ち受けていることを超意識から知った。彼にはこの不吉なできごとがなんだか見当もつかなかったが、たとえそれを避けようと思ったとしても、それがはっきりとどんなものかを知ろうとしてはならないのはわかっていた。「それが何であろうと、魂の成長のために経験しなければならないということは知っていました」と彼は語っていたが、1985年9月15日に彼は突然ひどいぜんそく発作におそわれて2週間入院し、最初の4日間は集中治療室ですごすほどだった。 バルドから戻った人たちの話はみなまちまちである。テーマは似ていても、境界での光や明るさの程度、裁判官たちのようす(「3人」の姿は目にしなかったが、何となく高みから聞こえてくる助言を感じただけの者もいる)、カルマの台本が検討される度合いなど、ほかにも多くの点が異なっている。中間世を訪れる特権を得たほんのひとにぎりの人々の受けたメッセージは、根本的な一点についてはみな同じく手厳しいものだった。すなわち、 「自分がどのような人間でどのような環境にいるかは、すべて自分の責任である。自分自身がそれを選んだ張本人なのだ」と。 すべてが自分の責任である、と聞くと、刀の切っ先を突き付けられたときのような、危機に瀕し だ自由と受け取られるかもしれないが、私たちはみな、各自の考えや言葉や行いに目的と意義が与えられる、畏敬すべき進歩の過程にみずからあずかっていると知ったとき、その恐怖はやわらぐのである。自分の過去に基づいて次の転生がどのように選ばれるのかをかいまみてしまうと、中間世を旅した者はその旅から戻ったあとで、あらためて自分たちに重い責任があることを深く考えざるをえない。しかし彼らは戻ってからも同様に大宇宙に作用する人間精神に呼応するもの、すなわちとてつもなく入り組んだ転生の旅に充満しているものがあることを、いたく感じつづけている。深遠なリアリティーである完全な調和をまのあたりにした者は、必ず囚われの身から解放されるのである。キケロが『法律について』で述べているように、彼方の世界をのぞき見たあとで、「我々はやっと、なぜ自分たちが生きねばならないかという理由を知る。そして我々は生きることに一生懸命になるばかりでなく、死にもっと期待を抱くようになる」のである。 |
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