輪廻転生
驚くべき現代の神話
J・L・ホイットソン/J・フィッシャー・著
片桐すみ子・訳 人文書院
 
第6章 宇宙という教室
B

 心身の障害やあらゆる個人の悲劇は、すべてカルマのなせるわざである。道徳的欠陥も、もつれたり抑圧されたりした感情も、将来転生したとき、病気や精神的外傷、恐怖症など、いろいろな障害の形をとってあらわれてくる。催眠は特定のカルマの状況を解明し、苦しみは自分の意志によるものだったという自覚――この自覚は治療のプロセスに不可欠なものである――をもたらしうるのである。カルマが果たされていなければ、常に問題が生じてくる。憂うべき事態が生じたとしても、それは単に自分自身で招いたせいでしかないのである。スチュワート・C・イーストンは『人智学からみた人間と世界』にこう書いている。

 「……この世の運命をなげき不運をかこつたびごとに、我々が非難することになるのは自分自身の選択であって、ひどい仕打ちをする気まぐれな神または神々の選択ではない。ゆえにカルマを知る者の犯してはならない悪徳は、嫉妬ということになる――それが他人の境遇に対してであろうと、他人の持つ才能や富や友人などに対してであろうと――なぜなら我々が手にしているのは、みずからが選びとったものであるからだ……。

 もし私たちがつらい人生を堪え忍ばなければならないとしても、かならずしも前世で悪いことをしたためとはかぎらない。一定の試練をうけて、将来の仕事やりっぱな業績にそなえているのかもしれないのだ。カルマのせいで、しなければならないことやかかわらねばならないことが生じはするが、カルマとは本質的には動機の存在を意味するものであり、ひいては自由意志を行使せざるを得なくするものなのだ。
 人格を高めることのほか、技能や才能を向上させることも、カルマ的な成長のうちに含まれる。被験者が幾多の生涯をたどるうちに、どのようにして幼稚で自己中心的な人格から青年期の人格へ、ときには円熟した人格へとつづく長い道程を歩んでいくかをホイットン博士は知った。進歩はかならず意志の強さで決まる。また、いかにして才能が人生から人生へとひきつがれていくのかもわかった。今生での非凡な才能は、もとをたどればこれまでの転生で努力と専念をつみかさねてきた結果なのである。こうしてみると、偉大な政治家、音楽家、哲学者など世界の著名な人たちは、過去世で徐々にその能力を身につけ、つちかってきており、ついに実力者としての生涯においてその能力が実を結んだ、と推測するのは理にかなうことである。逆に、リーダーシップに欠けていたり組織力のない人は、前世でも歴史上有名な指導者ではなかったらしい、ということになる。
 カルマは、人間の努力のどの領域にもあまねく働いている。ジョセフ・J・ウィードは、『神秘学の大師の知恵』で、カルマの法則の働きにおいて、原因と結果がつぎのようにあらわれてくると
述べている。

☆ 志を抱いたり望んだりすることは才能となる。
☆ くりかえし考えることは性癖になる。
☆ なしとげようとする意志は行動となる。
☆ 苦しい体験からは道義心が生まれる。
☆ 体験をくりかえせば知恵となる。
 
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