[幕末明治]
日本は外国人に
どう見られていたか

来日外国人による「ニッポン仰天観察記」
「ニッポン再発見」倶楽部 三笠書房 
第1章 美しい自然と街と村

 自然の豊かさと四季の美しさ、
 そして自然が育んだ日本の文化


 息をのむほど美しい日本の四季

 日本は、四季の移り変わりがはっきりしている。西洋諸国にも四季はあるが、日本に比べるとその差は少ない。そのため、幕末明治期に来日した西洋人の多くは、日本の四季の豊かさに驚きを示した。
 ロバート・フォーチュン(1813〜1880/イギリス/植物学者)は、スコットランドのエディンバラ王立植物園で園芸学を修めた植物のプロだった。そのフォーチュンが気に入ったのが、晩秋の紅葉の美である。
「秋の群葉の鮮明な色彩はたいへんすばらしく、(略)ハゼやいろいろな種類のあるカエデは、ちょうどさまざまの色合い――黄、赤、深紅色――によそおいを凝らしている」
 と、紅菊の色彩の美しさに賛嘆している(『幕末日本探訪記』
 アメリカの国民的詩人ヘンリー・ウォッズワース・ロングフェローの息子であるチャールズ・アップルトン・ロングフェローは1872(明治5)年に一般市民として来日し、「日本という国は、僕が見たことのある中で間違いなく一番美しい国だ」と驚いた。そして色彩溢れる自然を見て、「緑の色でイギリスを凌ぎ、豊かな緑色の草木に被われた山や平地に細分化されている」と率直な感動を伝えている(『ロングフェロー日本滞在記』)。
 それからおよそ20年後に日本を訪れたウォルター・ウェストン(イギリス/宣教師)も来日後すぐに自然美に魅了され、「2月の梅から始まり、桜、牡丹、つつじ、藤の花、あやめと春から夏にかけて咲く花々、さらに秋から冬にかけての菊、紅葉」などと、四季の移り変わりを花の名を列挙することで具体的にその美を表現している(『ウェストンの明治見聞記』)。

 自然が日本人の国民性をつくった

 ウェストンはまた、同書で「日本人ほど生まれつき自然に対する愛着が強く、それが皆の間に広まっている民族を見たことがない」と説き、その例として詩歌と祭りをあげている。
 詩歌については、「日本人にとって、詩歌は自然を描写する印象主義の産物である」と述べている。たしかに日本人は、花や鳥、月や秋の落葉、冬の雪や山にかかる霧といった自然を主題にした詩歌をよく詠む。なかにはたんなる情景描写にすぎない詩歌もあるが、ウェストンは、たとえそうしたものであっても、「読者の自然に対する愛が誤りない表現で補ってくれる」と擁護している。つまり、日本人の自然に対する愛着が、凡庸な詩歌をも優れた詩歌へ昇華させるというのである。
 行事については、「その季節の特定の花が最高の美しさになったとき、それを眺める喜びを味わうためだけの目的で、全国民が花見にでかけるのである」と、日本独特の花見の文化に強い興味を示した。さらに、日本人の変わった風習として月見にも着目。「月そのものをじっと眺めるか、月の光を浴びた美しい景色を楽しむかして夜の半分を過ごす」と説明したうえで、「審美的で洗練された楽しみ」と記す。
 日本人にとってはごくありふれた、自然とともにある詩歌や行事も、外国人の目にはユニークなものと映ったようである。
 
← [BACK]          [NEXT]→
 [TOP]