人は何のために祈るのか? K

 終末の時代における祈りのスタイル


 波動の法則に従って祈りの効果を考えてみますと、「何か」を求める祈りは、その「何か」がいま十分に満たされていないということを宣言しているわけですから、祈ることによって「満たされていない」という心の状態を強化する可能性もあります。祈れば祈るほど、満たされない状態をつくり出してしまうということです。
 それをカバーする方法として、「身・口・意」の力の総動員をはかるのがこれまでの祈りのスタイルでした。俗な言葉で言えば、歯を食いしばって願い事の実現を「神さま」に訴えてきたという感じです。「神さま」は、そのような献身的な祈りをしなくては願い事を聞き届けてはくれない存在だと思われていたのです。
 しかしながら、今日においては科学の分野における量子力学の登場や、心霊学の研究などによって、「見えない世界」の解明がかなり進んできました。それによりますと、「神さま」は宇宙に遍在する存在であり、その力は一人ひとりの人間の中にも内在されていることが分かってきました。仏教などでは当初からそのことが明らかにされていたのです。
 これからは、歯を食いしばらなくても、自分の内なる「神さま」の力が発揮されるように心のコントロールをしていけばよいということです。その心のコントロールはどうすればできるのでしょうか――それは、感謝行に尽きると言ってよいでしょう。
 私たちはもともと何一つ不足するものなく、「神さま」から与えられていることに気づくだけでいいのです。これまでは、自分の欲望や他人との比較の中から、満たされていないという意識をもち、それを満たすために「神さま」におねだりをしてきたのです。
 しかしながら、この広大な宇宙を創造し、運行しているスーパーパワーは、一人ひとりの人間が自分の願いを申告にこないと聞き入れられないような不完全な存在なのでしょうか。私たちの肉体の働き一つとってみても、まさに絶妙の機能が備わっています。自然界を見ても、人工的な干渉さえなければ、その営みの完璧さには目を見張るものがあります。そこまでの「完全」を実現している「神さま」が、「人間の願いまでは手が回らないので、ちゃんと申告してくれ」とおっしゃるような情けない存在であるはずはありません。
 「神さま」は私たち人間をご自分の位置に向かわせるために、進化に必要なステップとして非常にシンプルな法則を準備しておられたのです。その一つは仏教でも教えている「因果の法則」です。
 この因果の法則に照らしてみれば、私たちはいま既に満たされているということです。その認識に立つことが大切なのです。そして、そのことにただひたすら感謝をすればいいのです。例えば病気の症状が出たときでも、病気という形で因果の法則が働いていることに感謝し、そこから気づきを得る努力をすればよいのです。
 病気の症状が出たときに、「健康を失った」と慌てて、「神さま、私に健康をください」と祈る気持ちそのものが、「人間は病気に冒されるような弱い存在である」という意識を強め、内なる神性の発露に封印をしてしまうのです。
 悟りを得た仏教関係者(良寛和尚)の「病気の時は病気をすればよろしい」という言葉が、そのことを見事に言い当てています。
 「神さま」は、私たちが祈らずともすべての恩恵を与えてくださっています。「祈り」とは、そのことに感謝するための行であると言えます。そして、その行の最たるものは、私たちの日々の暮らしを感謝の気持ちで生きるということに他なりません。暮らしのなかでできる感謝行――それが終末の時代の祈りのスタイルであると結論づけておきたいと思います。
 
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