人は何のために祈るのか? L

 終末の大混乱の中で、何を祈ればよいのか


 ここで、「祈り」の言葉の定義について再度検討してみたいと思います。
 当初の定義は以下の通りでした。

 祈りの定義
 自分または自分が大切に思う存在の「幸せの実現」を願って、言葉、思念、行動などによって「見えない世界」に働きかける行為。

 いちいち「神さま」に願い事をしなくても、私たちはそのままですべて満たされており、幸せな状態にあるということです。親の心を理解できない子供は「あれをちょうだい」「これをちょうだい」とおねだりします。それが与えられないと、「ああ不幸だ」「私は恵まれていない」と不平を言います。
 しかしながら、親は広い視野から子供の成長のために一番必要な状態をつくり出してくれているのです。子供の求めるものであっても、自らの求める努力が不十分なもの、時期が来ていないものなどは与えないのです。あくまでも子供の成長のために。
 逆に、あえて願い事をしなくても、親は子供の成長に必要な書籍をさりげなく机の上に置いてみるといった形で、子供の成長を促す働きかけをしてくれます。その「書籍」が、時には「病気」という形をとったり、「仕事の失敗」という形をとったりすることがありますが、それらはすべて私たちの気づきを促し、成長へと導く「神さま」の配慮なのです。ありがたい「天の配剤」なのです。
 そのことに気づけば、私たちはいまどのような人生を歩んでいたとしても幸せな状態にある、ということを理解することができます。そして、感謝の言葉がひとりでに生まれてくるのです。
 今の自分の状態を幸せと受けとめるか、満たされない状態と受けとめるかによって、「祈り」の目標も変わってきます。
 ここまでの理解をもとに、「祈り」についての定義を次のように改めたいと思います。

 祈りの定義(新)
 自分または自分が大切に思う存在の「幸せの実現」に感謝して、言葉、思念、行動などによって「見えない世界」にお礼を申しあげる行為。

 「お願い事をする」ために祈る時代から、「いまの幸せに対する感謝の気持ちを届ける」ために祈る時代へと変わってきたということです。これまでの時代には、「見えない世界」に向かって発信した願い事が実現することによって、人は「見えない世界」の中に偉大なる「神さま」の存在とその愛、その力を認識することができるようになりました。その偉大なる「神の愛」「神の力」が存在するという認識が、悲しみや苦しみに打ちひしがれている人々の心を癒してきたのは確かです。
 そして、いまは、その偉大なる「神の力」が、実は私たち一人ひとりの中に内在されているのだということに気づく時代を迎えています。それが現人類の進化の仕上げということです。神次元にステップアップするためには必ず通過しないといけないプロセスなのです。それが「神さま」によって準備されたこの度の「終末」の意味であると思います。
 
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