人は何のために祈るのか? N

 もともと備わった力に気づくこと


 この物質世界では、私たちの心がその本来の力のまま他に影響を与えないように、脳によって一定の制御が行なわれているということを述べてきました。私たちの魂がこの三次元世界を知覚し、そこに働きかけるためには、次元の変圧器官とも言える「脳」の力を借りるしかないのです。その脳は、見えない力によって、機能が制御されていることがわかっています。普通の人で脳の機能の2〜3パーセント、天才や超能力者と言われる人でも5〜10パーセント程度しか使われていないことが科学的にも実証されています。まさに、脳は封印された状態にあるのです。
 それでも、例えば、藁人形に釘を打ち込んで怨みに思う人を呪い殺すという「子の刻参り」のように、人の思念を「祈り」という形で集中させるとき、思念の力は物質世界の常識を超えた大きなものとなります。私たちの心には、本来はその何倍、何十倍もの「力」が備わっているのです。
 そのことを法華経の「衣珠の喩」は、親友が衣類に縫い込んだ宝玉のたとえで教えてくれています。私たちはいま「もともと備わった力に気づくこと」が必要なのです。というより、気づくだけでよいのです。気づくだけで、病気や貧困と無縁の、嬉し嬉しの状態を実現することができるのです。
 しかし、この「気づく」という意味は、単に知識として知るということではありません。魂で理解しなくてはいけないのです。つまり「腹の底から」わかるという状態が必要だということです。
 では、どうやったら「腹の底から」理解することができるのでしょうか。ここで、この「祈り編」の結論とでもいうべき答えを申しあげます。私たちはこれから本格的な終末の大混乱の時代を迎えるでしょう。私たち人類が数々の輪廻転生を通じて得てきた教訓をもとに、いよいよ悟りを得て次元上昇をする時がきたのです。
 そのような時代にもっとも大切なキーワードの一つ、それは「全託」であると確信しています。「神さまに結果のすべてをお任せする」ということです。そして、その前提条件として「日々の暮らしを祈りとせよ」ということを強調しておきたいと思います。
 
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