人は何のために祈るのか? O

 「神さま」にすべてをお任せする


 「全託」とは、「神さまに結果のすべてをお任せする」ということでした。
 もちろん、私たちが何の努力もせずに、「果報は寝て待て」という姿勢でいることを意味しているのではありません。むしろ、その逆なのです。「人事を尽くして天命をまて」ということです。「常に感謝の気持ちをもって、目の前の仕事に全力投球しなさい。そうすれば、結果についていろいろと思い煩い、神さまに指図をしたり、注文をつけたりしなくても、神さまは必要な時に、必要な形で、最善の答えをくださる」という心の姿勢を持つことが大切だということです。
 ともすると私たちは結果に対していろいろと注文をつける癖がありますので、実際にその結果が表れたとき、それが注文通りでないことを不満に思い、さらに「神さま」に注文をつけ直すか、「神さま」にさえも不満を言うというのがこれまでの態度でした。そのため、「神さま」への注文としての祈りの内容も大変具体的です。「私の病気を治しなさい」「私の息子を大学に合格させなさい」「もっとこの商売が儲かるようにしなさい」といった具合です。しかし、このような注文がその通りにならなかったけれども、そのことが逆によい結果を生んだという事例は山ほどあります。反対に、「1千万円を調達しなさい」という注文がその通りに実現した結果、それは最愛の息子の交通事故死による保険金として手に入った、という事例もありました。
 私たちが祈りの内容として選択する個々の願いは、最終的には私たちの「幸せ」ということであり、その先にある「心の平和」ということなのです。しかしながら、その「心の平和」を生み出す要素は、最終的には「神さま」の力に頼るしかありません。例えば、いま急速に破壊されつつあるこの地球の実態を知れば、普通の感覚の持ち主であれば心の平和など保てるはずはないのです。いまはまだその事実を知らない人が多いために、ノホホンとしていられるだけです。もちろん、自分が今の人生をどうにか生き延びさえすれば、後はどうなってもよい、と考えている人は別ですが‥‥。
 その地球レベルの平和を願うことも大変重要なことですが、一番大切なのは、私たちの日々の心の調律ということなのです。私たちの心は深いところで地球の心(ガイア意識)ともつながっているわけですから、私たち自身の心の状態をプラス思考(感謝の意識)に変えていくことが必要なのです。
 「地球が危ない状態なので、助けてください」と祈るのでなく、「私は生かされています。そのことに感謝し、毎日を楽しみながら、力いっぱい生きてまいります。いつもありがとうございます」という心の姿勢を持つことが大切で、効果的なのです。祈りには感情が伴う必要がありますが、「地球」という巨大な存在に愛情が注げるまでになるには、私たちの心の自我意識を大きく進化させる必要があります。普通の人が地球のために祈るといっても、感情の伴わないものになってしまって、言霊の力も十分に発揮されないことが多いと思われます。
 また、病気を例にとって何度か説明してきましたが、「病気を治してください」という祈りは力が弱いのです。それは、祈ることによって「いま病気である」という念を強化することになるからです。それよりも、「既に健康になりました。ありがとうございました」と考え、病気が治った状態と同じように「〜らしく振る舞う」ことが効果的だと申しあげました。それはその通りなのですが、この「祈り編」の結論としては、「病気の時は病気になるがよい」という心の姿勢を持つべきだということを強調しておきます。
 「神さまがしっかり私のことを見てくださらないから、病気になったではありませんか。この病気は要らないものですから、早く取り除いてください」という姿勢は、正しい心の使い方ではないのです。「病気も含めて、すべて神さまはその人に必要なものを与えて下さっている」と考えることが「全託」の心なのです。
 「自分の身に、あるいは周辺に起こることがすべて自分にとって必要なものなのだ」とわかれば、縁あって与えられたそれらのすべてに感謝する気持ちを持つことができます。もちろん、中には「いやだな」と思うことも起こるでしょうが、それは私たちの心の成長度合いを教えるバロメーターの役として必要なのです。
 その「いやだな」と思う気持ちを長く留めず(「砂に書いた文字」のように寝るまでに消す)、心の中では「法華経」に出てくる常不軽菩薩のように振る舞うのが理想でしょう。努力していきたいものです。
 
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