人は何のために祈るのか? P

 「神さまは自分の中にいる」という自覚


 終末の次元上昇にあたって、天変地異を含む地球のカタストロフィー現象は避けられないと思います。既に高位次元の世界ではそのことが起こっていて、これからはそれがこの三次元の物質世界に徐々に顕れてくるというわけです。高位次元から降ろされた予言の数々がそのことを教えてくれています。
 しかし、そのカタストロフィーを、「人類が間違った生き方をしてきたからこのような状態を引き起こしたのだ」とか「最終的には神さまがどうにかしてくれるのではないか」と考えることは間違っています。それは病気の症状が出た時に、「不摂生をしたから病気になった」「医者が治してくれるだろう」と考えるのと同じことです。
 終末のカタストロフィーは全人類の気づきのために必要な出来事として、神さまによって準備された卒業試験のようなものなのです。また、神さまはせっかく準備した卒業試験を取りやめたり、延期することはないのです。なぜなら、早く生徒(人類)を上級学校(ミロクの世)に行かせてあげたいと思っているからです。「僕は試験なんか受けるのはいやだ!」とダダをこねていても、この地球の次元上昇という形で実施される試験から逃れることはできません。
 その試験の中で、私たちはこの世界で頼りにしてきたもの(お金、地位、名誉、権力など)が全く力を持たないことを実感させられます。そして、神の偉大な力の前にひざまずくのです。「苦しい時の神頼み」現象と言えるでしょう。しかし、神は人間がそのように屈することを望んでいるわけではありません。この世のものに対する執着を捨てさせたあとは、自らの足で立つことを望みます。「覚悟を決める」という形でしょう。そして、混乱するなかで、周りの仲間に対して救援の手を差し伸べるのです。そのとき、神がかかり、「火事場の馬鹿力」とでも言うべき超能力を発揮することになります。
 これが終末のカタストロフィーの中で、最も顕著に見られる現象ではないかと思っています。そのひな型現象を、私は阪神・淡路大震災の時に見たような気がしています。つまり、「神も仏もいない」と、他への依存心を捨てたとき、人の内なる神性が目を覚ますのです。それが、まもなく起こると思われる「地球と人類の次元上昇」の真の姿だと思っています。
 
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