生命思考 
ニューサイエンスと東洋思想の融合 
石川光男・著 TBSブリタニカ 1986年刊
 

 まえがき

 今年の一月に、遠藤周作氏と対談をする機会があった。私のように物理学をやっている者が遠藤氏のような著名な作家と対談をするなどとは、全く夢にも思っていなかったことだが、昨年出版した『ニューサイエンスの世界観』という本がきっかけだった。
 “心あたたかな病院”をつくる運動をやっている遠藤氏は、ニューサイエンスが自然や生命を新しい角度から見直そうとしている点に関心を示し、ある雑誌に連載している対談の記事をとるために、私を指名したのだった。
 ところが、それから数ヶ月後に。筑波万博で一本のトマトの「木」に一万二千個のトマトを実らせて話題を呼んだ野沢重雄氏を囲んで、遠藤氏と再びお会いする機会に恵まれた。遠藤氏は、野沢氏の発想がニューサイエンスと似ているところがあるといって、野沢氏に私を紹介してくれたのである。
 そんなわけで、私も野沢氏のハイポニカ(水気耕栽培)に深い関心を持つようになった。特に興味をひかれたのは野沢氏の生命に対する考え方である。トマトに限らず、植物はわれわれが知っているよりももっと大きな可能性を秘めている。野沢氏は生育条件を変えるだけで、その可能性を引き出そうとしたのである。しかも、われわれは、大地が植物の生育のために必要な絶対条件だと思いこんでいるが、大地はむしろ植物の生育を阻害しているのではないか、というのが野沢氏の発想の原点である。
 野沢氏の考えは、いまのところ学界に容易に受け入れられていないそうであるが、私はその発想に強い共感をおぼえた。野沢氏はいまはやりのバイオテクノロジーで遺伝子や細胞を人工的に操作しているわけではない。逆に自然の生命体が秘めている驚くべき可能性を十分に引き出すことを心がけているだけなのである。
 この考え方は、私が持っている生命観と共通する面を持っている。この本の中で、「生命思考」という言葉で表現しようとしているのも、実は基本的には同じ考え方に立っている。私もまた、人間という生命体はわれわれが知っているよりもはるかに大きな潜在的可能性を持っていると考えている。私は野沢氏のハイポニカの考え方を何も知らずにこの本を書いてきたが、出版をする直前になって野沢氏に会い、ハイポニカ・トマトが私の「生命思考」を象徴する具体的な見本であることを知ったのも、不思議なめぐりあわせである。
 現在はバイオテクノロジーが脚光をあびている時代である。ハイテクの基本は生命の人工的操作である。そこには、生命の新しい可能性を引き出すのは、生命の人工的操作だけであるという思想が感じられる。しかし、ひるがえって考えてみると、われわれは人工的操作にばかり目をうばわれて、生命の可能性を十分に生かすような環境を与えたり。人間の潜在能力を十分に発揮させる生き方や生活をすることを忘れているのではないだろうか。
 生き方というと、それは宗教や哲学の問題で、科学とは無縁であると思われてきたが、私はそのように考えてはいない。むしろ近代科学が解き明かしてくれたさまざまの自然の神秘の中に、われわれが生き方として学びとらなければならない多くの教訓が隠されている。ただ、現代文化の中では生き方と科学は分離されているから気がつかないだけである。
 しかし、注意深く現代の科学研究の成果を観察してみると、われわれがいままで見過していた自然の姿や、生命の持っている驚くべき可能性の片鱗が少しずつ顔を出していることがわかる。
 それらを単なる科学の解説記事として見過ごしてしまうと、生命の持つすばらしい潜在力に感動し、そこから多くのものを学びとる大切な機会を逃がしてしまうことになる。そこで、われわれの胆常生活における健康管理やライフスタイルを考える上で参考になりそうな科学研究の例をあげながら。生命観や生き方を反省する材料を提供してみたのがこの本である。
 科学的研究の成果を手がかりとしながら、生命体が持っているすばらしい可能性を再発見し、その可能性を生かすような生き方を生活の中にとり入れる――それが「生命思考」の基本的な考え方である。それは生命の人工操作ではなく、生命の潜在的な能力を生かす道を探ることを目的としている。自然を支配するのではなく、自然の摂理に従って生命を生かしきる道を探る――これは東洋文化の伝統的な考え方である。そのような意味から言えば、「生命思考」は東洋思想の意味を現代科学の中で再発見する一つの試みであるとも言える。
 一方、現代科学にはさまざまの限界がつきまとっている。野沢氏のトマトの巨木の例に見られるように、現代科学の考え方の枠組み、すなわち科学のパラダイムに合わなければたとえ「事実」がそこにあっても「学問」は容易に動かないのである。
 したがって、現代科学のパラダイムに合わせているだけでは、生命の一側面しか見えてこない。そこで、現代科学のパラダイムを超えた角度からも生命の姿を見つめ、そこからも人間の潜在的な可能性を考えてみたいと思う。それが「生命思考」の別な側面である。

 (中略)

 この本のサブタイトルには「ニューサイエンス」という言葉が使われているが、それはいままでの伝統的な科学では扱わない問題――例えば「気」の概念など――に触れていることと、いわゆるニューサイエンスと呼ばれる考え方の中で重視されている考え方――たとえば有機システム論など――をとり入れているという意味であって、ニューサイエンスの解説を目的としたものではない。
 しかし、そのような新しい考え方の流れを知るために、部分的にこの問題に触れている。一部の人々の間には、ニューサイエンス拒否症候群とも言うべき現象が見られるが、あまりそのような概念や言葉にとらわれずに、素直な気持で生命を見つめ直すための手助けとなることを願っている。
「生命思考」は、生命本来の姿に気づき、それを出来るだけ生かすことを基本とする。それは自分という個体を生かす道であると同時に、他を生かす道である。また自分という個体を支えてくれている内外の命の働きを出来るだけ大切に生かす道でもある。生命のすばらしさは、非常に奥深いもので、とても私には語りつくす能力はない。ただ、科学と生き方を連動させて考えるという一つの試みが少しでも読者諸兄のお役に立てば幸せである。
 
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