生命思考 
ニューサイエンスと東洋思想の融合 
石川光男・著 TBSブリタニカ 1986年刊
 

 「気づき」の文化

 かつて私たち日本人の食生活は天然、自然のものが多く、料理法もいまのようにバラエティに富んではいなかった。そのせいで比較的、固いものが多く、どうしてもよく噛む必要があった。天然、自然の食品は噛めば噛むほど味が出てくる。こうして、味わうというのはよく噛むことである。ということが体でわかる。天然の甘味がじわーっと出てくるのは生体が送ってくる内部情報なのだ。
 味を噛みしめるには、たとえばテレビを見るなど気を外に散らしていてはできない。「おしゃべりしないで食べなさい」。これもかつての大人たちの子どもに対するテーブル・マナーの一つだった。おしゃべりしていては気が散って食べ物の味を感じることができない、というわけである。
 東洋には昔から食べ物の味に対して生体から発する「気づき」を大事にする考え方がある。食べるときには、食べることに集中し、よく噛めば生体の内部が「美味しい」と気づくことを体験的に知っているのだ。
 食べ物をしっかり噛めば、制ガン効果のあることについてはすでに書いたが、それ以外にも満腹感が早く訪れることも効用の一つである。「腹八分目」とはよく言ったもので、ゆっくり、よく噛んで食べると、大体七、八分で満腹感が広がる。これが少食主義につながっていく。試しにやってみればわかるはずである。仮にいつもお茶碗三杯でないと満足しない人でもじっくり噛んで食べると、二杯も食べればかなりの満腹感に浸れるにちがいない。これも内部情報の一つである。人間という生体はもともと内部から情報が出てくる仕掛けになっているのである。私たちの親が伝えてきた食べ方は生体の理にかなった習慣と言えるだろう。
 ヨーロッパやアメリカでのテーブル・マナーは、とにかくみんなでワイワイやりながら楽しく食べる。その会話がウイットやユーモアに富み、洒落ていれば、外からの情報がどんどん入ってきて、テーブルを囲む人たちに一種の連帯感が生まれる。明るく愉快である。その結果、ホルモンの分泌や消化にもよい影響をもたらす。
 欧米での食スタイルは、内部情報より外部情報をより重視する傾向が強い。しかし、語らいながら食べると、どうしてもよく噛むことはおろそかになりがちで、なかなか味に気づくようにはならない。
 最近の日本人の食スタイルはすっかり欧米風になり、天然、自然の固い食品は嫌われ、外食すればわかる通り、どれも軟らかく、やや歯ごたえのあるものは生野菜ぐらいである。しかしそれが当たり前と思っている人が多く、固さや軟らかさを意識さえしない。
 軟らかい食品はそんなに噛まなくても胃に流し込まれるから味に気づくこともない。満腹感も食べ過ぎたころにやって来る。せっかくの内部情報系を生かすチャンスが食習慣の変化によって奪われてしまっていると言える。
 欧米の外部情報重視の食生活と日本に古くからある食生活のスタイルの差は結局、文化の差から来ている。情報の取り入れ方が欧米では外部的であり、日本では内部的なのである。どちらがより優れているとはいえないが、現在の日本人の食生活を見ていると、あまりにも内部情報の取り入れを無視しすぎている。というより生体が情報を出すことを知らないのだろう。
 グループや大勢で食べるときはともかくとして、一人で食べるときはできるだけ生体が発する内部情報に耳をそばだてるように、ゆっくり噛む習慣をつけることである。さらに天然、自然の固いものをもっとテーブルに取り込むようにする。もちろん内部情報だけを重視すると黙りがちになり、テーブルが暗くなるから、外部情報を取り入れることも大事である。ここでもバランスが大切となる。
 
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