日本人の誇り
日本人の覚醒と奮起を期待したい 
藤原正彦・著 文春新書
 

 大人から子供まで低下するモラル

 それと同等に深刻なのはモラルの低下です。
 モラル低下は、とかく大げさに取上げられる政治家や官僚だけに見られるものではありません。子殺し、親殺し、それに秋葉原事件のような「誰でもいいから殺したかった」という無差別殺人など、少し前までの我が国にはありえなかった犯罪が頻りに報道されるようになりました。
 江戸時代の頃、江戸には百万人を超える人々が住んでいましたが、与力、同心、目明しなど警察官の数は数百人程度だったと言われます。それで治安がよく保たれたのです。そもそもこの時代、鍵などというものはお城の門の立派な錠以外では金持ちの土蔵で使われるだけで、庶民が手にすることのないものでした。
 こんな話を読んだことがあります。幕末に日本を訪れたあるイギリス人が、お世話になる宿の主人に「これはとても大事なものだから安全な所にしまっておいてくれ」と言って大金の入った包みを渡しました。主人はそれをうやうやしく手に取ると、そのまま部屋の戸棚に入れて戸を閉めたのです。このイギリス人は鍵のない戸棚にしまわれたことをずっと不安に思っていたのですが、2週間の滞在の後に中味を確かめると何一つなくなっていないのでたまげたのでした。彼の知るヨーロッパでもアジアでもあり得ないことだからです。
 何世紀にもわたり世界で図抜けていた治安のよさも、かろうじてトップという所まで落ちてきたのです。
 子供達のモラルも一斉に崩れ、学級崩壊は日本中の小中学校で広く見られるようになりました。陰湿ないじめによる子供の自殺も普通のこととなりました。
 江戸時代初期より3世紀半にわたり恐らく世界一だった子供達の学力は、10年ほど前に首位を滑り落ち、その後も復活していません。2009年度の調査によると、日本の15歳は国語読解力が8位、数学が9位となっています。韓国、香港、シンガポール、フィンランドといった国々にさえ大きく水をあけられています。
 実施される何年も前から破綻することが明らかだったゆとり教育は、何年もの間、子供達を犠牲にした後、ようやく是正へと舵が切られました。しかしこの脱ゆとり路線も、日教組の支援を受けた民主党政権のために後退しています。子供達の学力低迷はまだまだ続くのです。
 それどころか、ケータイ病におかされた子供達は今や、世界でもっとも勉強をしない子供達とさえ言われています。中学校で数学教師をしている私の教え子が言っていました。昼休みに勉強や読書をしたり校庭で元気よく遊ぶような子はまず見当らず、おしゃべりをする子も少なく、ほとんどは黙々とケータイを手にしているそうです。
 一生懸命勉強して将来何かをしたい、という志を持つ者さえ、国際統計によると極めて少ない水準にあります。外国へ出て大きな未来に挑戦しようという青年が少なくなったから、アメリカの大学や大学院への留学生はかつてに比べ半減し中国や韓国よりはるかに少なくなっています。青少年の特権とも言える野心を抱くより、身近な幸せに安住し、ケータイやインターネットに興じています。視線が内向き下向きになっています。
 学校にはBMWを乗り回しながら給食費を払わないモンスターペアレンツ、病院には治療結果が思わしくないとすぐに病院や医師を訴えるモンスターペイシャンツと、不満が少しでもあれば大げさに騒ぎ立てる人々が多くなりました。人権をはじめとして自らの権利をやたらに振りかざすような行為は、かつては「さもしい」と言われたものですが。
 
← [BACK]          [NEXT]→
 [TOP]