日本人の誇り
日本人の覚醒と奮起を期待したい 
藤原正彦・著 文春新書
 

 戦後、日本国の生存を握るものは?

 いかにして日本人は祖国への誇りをかくも失い、周辺諸国の顔色をうかがって生きていくほど卑屈となったのでしょうか。江戸時代までは、日本人が国家を意識することは元寇などの時を除いてほとんどありませんでした。明治から大東亜戦争までは帝国主義時代の真只中で、国家を意識しないわけにはいきませんでしたし、植民地化されるのを防ぐためには祖国愛に基づいた国民の一致団結が必要ですから、国民は強い、時には狂信的な誇りを持っていました。祖国への誇りを失ったのは戦後のことなのです。
 終戦と同時に日本を占領したアメリカの唯一無二の目標は、「日本が二度と立上ってアメリカに刃向かわないようにする」でした。それは国務省、陸軍省、海軍省合同で作成した「日本降伏後における米国の初期の対日方針」にも明らかです。
 そのために日本の非武装化、民主化などを行ないましたが、それに止まりませんでした。第一次大戦後、二度と立上がれないほどドイツを非武装化し弱体化したのに、たった20年でヨーロッパ最強の軍隊を作ってしまったのをよく知っていたからです。日本人の家を燃やし破壊してもその「基軸」を壊さない限り、いつかこの優秀で、勇敢で、誇り高く、白人にひざまづく素直さに欠けた唯一の有色人種、日本人が強力な敵国として復活することを知っていたからです。特に1944年(昭和19年)秋に始まった神風特攻隊や硫黄島、沖縄と続く理性を超越した鬼気迫る抵抗に震撼した直後だけに、なおさらでした。
 GHQすなわちアメリカはまず新憲法を作り上げました。GHQ民政局の局員が集まり1週間の突貫工事で作ったのです。憲法の専門家はいませんでした。まず前文に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と書きました。アメリカは他国の憲法を自分達が勝手に作るというパーク条約違反、そしてそれ以上に恐るべき不遜、をひた隠しにしましたが、この文章を見ただけで英語からの翻訳であることは明らかです。「決意した」などという言葉が我が国の条文の末尾に来ることはまずありえないし、「われら」などという言葉が混入することもないからです。いかにも日本国民の自発的意志により作られたかのように見せるため、姑息な偽装を施したのですが、文体を見れば誰の文章かは明らかです。そのうえ、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」と美しく飾ってみても、残念なことに「国益のみを愛する諸国民の権謀術数と卑劣に警戒して」が、現実なのです。
 ともあれこの前文により、日本国の生存は他国に委ねられたのです。
 第九条の「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」は前文の具体的内容です。自国を自分で守らないのですから、どこかの国に安全保障を依頼する以外に国家が生き延びる術はありません。そして安全保障を依頼できる国としてアメリカ以外にないことは自明でした。すなわち、日本はこの前文と第九条の作られたこの時点でアメリカの属国となることがほぼ決定されたのです。この憲法が存在する限り真の独立国家ではありません。中国に「アメリカの妾国」と馬鹿にされても仕方ないのです。
 ただし、この第九条はアメリカに押しつけられた、と一方的に非難する訳にもいきません。日本がそれを押し戴いたとも言えるからです。憲法原案を論議した1946年(昭和21年)6月の衆議院委員会で、共産党の野坂参三氏は「戦争には侵略戦争と防衛的な戦争がある。侵略戦争の放棄とする方がもっと的確ではないか」という趣旨のまったく正当な質問をしました。吉田首相はこれに対し、「近年の戦争は多く国家防衛権の名において行なわれた。故に正当防衛権を認めることが戦争を誘発する」と答えたのです。そして投票の結果、賛成421票、反対8票の圧倒的多数でこの憲法は可決されました。八票のうち6票は共産党議員でした。国会の意志は国民の意志です。それほど国民は戦争に惓(う)んでいたのです。こうして万国の保有する自衛権を日本だけが失なったのです。
 アメリカはさらに念のため第一条で、国民の心の拠り所であった天皇を元首からただの象徴にしました。皇室典範を新たに定め、11宮家を皇籍離脱させました。これでは万世一系を保つのがいつか極めて困難になることは目に見えていました。国民の求心力の解体を目論んだのです。
 日本文化の根幹とも言うべき漢字にも手をつけました。いきなり漢字全廃では混乱を生ずるので、第一段階として当用漢字を導入しました。使用漢字を大幅に制限したのです。日本の文化を弱体化させ、愚民化する目的でした。植民地住民を愚民化するというのはアングロサクソンの常套手段でした。住民が賢くなると植民地というものの不条理に気づき統治者に反逆するからです。また世界から絶讃されていた教育勅語を廃止して作った教育基本法では、個人主義を導入し公への奉仕や献身を大事にするという日本人の特性を壊しました。日本の底力を減殺する狙いでした。これでもまだ足りませんでした。
 
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