日本人の誇り
日本人の覚醒と奮起を期待したい 
藤原正彦・著 文春新書
 

 検閲によるメディア統制

 こうして、一方的なアメリカの見解、途方もない善悪二元論が日本人の脳に少しずつ忍びこんでいきました。アメリカによる洗脳が効果を表し始めたのです。これがうまく行けば、日本人の間に渦巻いていた対米憎悪のエネルギーがアメリカでなく、自分達を欺してきたということで軍部や軍国主義者に対する憎悪エネルギーに変わって行くだろう。そしていつか日本人は、日本軍の残虐性と好戦性の源ということで、自ら伝統や「基軸」の破壊に向かうだろうとの深い読みでした。
 実に見事な読みです。日本人などではとても考えつかない壮大な戦略です。さすが長期戦略の天才アングロサクソンです。この戦略に基づいたマインドコントロールでした。GHQは同時に「神道指令」を発令し、神道の特別扱いを禁止するなど神道を弾圧することで皇室の伝統、すなわち日本人の心の支えを傷つけようとしました。
 「罪意識扶植計画」を着実に実行するため私信までを開封しました。私自身、1948年の頃でしたか、セロテープで開封口を閉じられた父あての手紙を幾度となく見ています。私がセロテープなるものを見たのはこれが初めてでした。中央気象台の単なる高層課長補佐にすぎない父のものまでそうでしたから、ほとんど手当り次第に開封されていたのでし 1945年9月に日本占領を開始した米軍を前にして、日本は静まり返っていました。天皇陛下が「堪え難きを堪え忍び難きを忍び」と仰せられましたから、黙って耐えていましたが、心の中では同胞を大量に殺戮し、国土を焦土としたアメリカへの当然の憎悪に燃えていました。アメリカ人は、テロを行なうことも小石を投げることさえしないこの冷静さを、野蛮でずる賢い日本人による罠ではないかと疑っていました。そこで一般人の手紙まで開封し、陰謀の有無や対米憎悪の深さを計測していたのです。
 その結果、まことに当然のことですが、日本人に戦争への悔恨の念はあっても罪悪感はなく、アメリカへの憎悪は十分にあることが分かりました。だからこそ、「罪意識扶植計画」を徹底する必要を感じたのです。
 そこで雑誌新聞などの事前検閲も行ないました。占領軍や合衆国に対する批判、極東軍事裁判(東京裁判)に対する批判、アメリカが新憲法を起草したことへの言及、検閲制度への言及、天皇の神格性や愛国心の擁護、戦争における日本の立場や大東亜共栄圈や戦犯の擁護、原爆の残虐性についての言及、などが厳しく取締られ封印されました。細かくは、米兵と日本人女性との交際への言及なども対象となりました。日本人数千人の協力の下で、この極秘裏の検閲は数年間にわたりなされたのです。識字率が異常に高く、他人を疑うことを知らないお人好しの日本人には効果絶大でした。
 また、違反した新聞や雑誌は発刊停止となりました。実際、1945年9月15日に朝日新聞は次のような鳩山一郎の談話を載せました。
「“正義は力なり”を標榜する米国である以上、原子爆弾の使用や無辜の国民殺傷が病院船攻撃や毒ガス使用以上の国際法違反、戦争犯罪であることを否むことは出来ぬであら」
 降伏後1カ月ですから実に立派です。さらに翌々日には米兵の日本における暴行事件に関して批判的な記事を載せました。この結果9月18日から20日まで朝日新聞は48時間の発行停止となったのです。
 朝日新聞に続き9月19日にはジャパンタイムズの前身である「ニッポンタイムズ」が、社説を事前検閲に提出しなかったとして24時間の発行停止になりました。
 10月1日には「東洋経済新報」が押収されました。社長石橋湛山の次の記事を載せたからです。(現代仮名遣いに変更しました――なわ・ふみひと)
「米国はただに我が国の有形的武装解除を行うのみならず、又精神的武装解除を行うべしと称している。彼等は日本に平和思想を植え附ける使命を果たそうというのである。しかしそれには米軍乃至米国自体がその使命にふさわしき行為者たることが肝要だ。さもなくはどうして彼等は他国民の精神にまで立入り得ようか。米国はかつて無謀な移民法の制定により、日本の平和主義者を打倒し、軍国主義者の台頭を促した。今次の極東戦争はここにその遠因のひとつが存する。これは米人自身の認める見解だ。切に同国朝野の反省を希望する所である」。
 移民法とは1924年にアメリカで制定された法律で、日本からの移民をほぼ全面禁止するものです。
 リベラリスト石橋湛山はこの目の覚めるような論を、降伏後1カ月半の占領下で書いたのです。彼は戦時中も一貫して軍部を批判していました。その胆力にはただ恐れ入るばかりです。戦後間もない頃にはまだ鳩山一郎や石橋湛山のような人が日本にはいたのです。
 次々に発行停止という厳しい現実を見て、新聞、雑誌、ラジオ等は生き残る術を迅速に学習しました。驚くべきことにほんの数力月もしないうちに、戦前の皇国万歳からアメリカ万歳や容共路線に急転回したのです。はしっこい日本人は豹変したのです。日本人の最もいやな点です。
 
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