新装版
死者は生きている
萩原玄明・著 ハート出版 
第1章 魂の生活を 
3.魂・意識体とは何か

 死んでも自分は生きている

 人間の体が両親によって形成されることは言うまでもありませんが、その両親もまたそれぞれの両親があって――というように、無限にさかのぼって行けることを、あらためて厳粛に考え直していただきたいと思います。
 自分というものは、偶然にこの世に在るのではなくて、それぞれ人間としてひたむきに生きたたくさんの先祖があってはじめて今ここに存在しているのです。
 先祖のうちの一人でも、もし欠けていたならば自分はこの世に生まれ出ていません。
 血縁がみならず、自分という果実が実を結ぶに至るためには、数え切れない「因」があるわけですが、ところがどうでしょう。これらの因に目を向けて、しっかり自覚している人がどれほどいるでしょうか。
 祖父母・曾祖父母・曾々祖父母の血が、自分の体内を脈々と流れていることを、あなたはいつもしっかり自覚していたでしょうか。
 ましてや、そうした先祖の人々が、全員、魂・意識体として現在只今も生きているということを、日常生活の中で常に意識していたでしょうか。
 人間の誕生から話をやり直してみましょう。
 両親によって先ず人間としての肉体が芽生えた瞬間に、大宇宙の大自然をつかさどる御佛(かみ)によって、ひとつの魂・意識体が芽生えたばかりの小さな肉体に乗り込みます。そしてその時から胎内において人間としての成長を開始するわけです。
 現代のSF小説風に表現するならば、大宇宙の中には、思うことのエネルギー即ち、魂が常に貯えられている意識の安息帯とでもいった所があり、そこで、至高の御佛(かみ)である太陽神によって人間となる命令が出るのを待っているとでも言いましょうか。
 やがて、乗るべき肉体の準備ができると御佛(かみ)の命令が出て安息帯から離れ、地上の肉体を一つの魂につき一体と厳格に割り当てられて合体し、そこに一人の人間が発生します。
 母の胎内にまだありながら、既に魂もそなえた立派な人間です。ほとんど受胎と同時であって、まだ肉体が完全な形を作りきれていないうちから、もう魂をしっかりとそなえた一人の人間になっているということを、どうぞ忘れないでいただきたいものです。
 身体の大きな強いお相撲さんであろうが、八十歳の腰の曲がった老人であろうが、そしてまだ胎児であろうが、肉体の姿に見られる差異に一切関わりなく、それぞれが一人分の魂を所有しているのです。
 掻爬(そうは=堕胎)したり流産したりした挙句に、まだ誕生もしない、形も未熟な胎児だったのだからと、肉体の大小を根拠に一人前扱いの供養もしないことが、どれはどの過ちかを知ってはしいと思います。
 水子のみならず幼くして亡くなった子供達についても、供養をおろそかにできないと言う理由はここにあるのです。
 魂と合体した肉体の方は、実に無防備にできていて強い衝撃があれば破壊しますし、かりに無事に使いこなしたとしても限りがあります。
 つまり、「死」です。
 肉体が死を迎えると火葬によって、灰・煙、そして水蒸気などに変形して、地球に返還することになります。
 魂もまた、とどまるべき肉体を喪失した以上、合体以前の場所である想いのエネルギーの安息帯・意識体のプールへと帰っていかなくてはなりません。
 その帰着すべき場所こそ天上界・天国であり、大自然の御佛(かみ)のみもとです。
 そして、ここへ帰り着くことを成彿と昔から言っているわけですが、さて問題は、死んだにも拘わらず、まだ生きていると錯覚してしまう魂があるということです。
 生きていた時そのままに、この世の事象やこの世の縁者に想いを通わせて、意識だけを作用させる状況を現出してしまいます。
 これがいわゆる、迷っている姿なのです。
 このような魂が、生前の姿を借りて私の霊視の中に現われ、肉体が無くなってしまったために果たせない想いを、そのまま表明して来ます。
 死んだことに気が付いていないというのか、納得していないというのか、火葬場で骨となった自分を見ていたはずなのに、それでも意識が働いているので、
「自分は、まだ生きているんだ」
と、錯覚してしまうようです。
 これが、いわゆる、成佛できていない霊、浮かばれていない死者といわれる人達で、説話にいう地獄のように、大変に苦しい状態であると察することができます。
 特に自殺者の場合は、
「死んでしまったら、今のこの苦痛から解放されるに違いない」
と、そう考えて自殺してしまうのですが、さて、その行為を果たしても、意識が生きているためにびっくりします。
「どうして、どうして生きているんだろう。変だ、不思議だ」
 通常死の場合でも死を納得して成佛するのは、なかなか難しいことのようですから、自殺者の、「死んだはずなのに何故生きている」という迷いは、それこそ、無間地獄のようなものであろうと推測できるわけです。
 
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